次の日。
いつも通り、あの地獄のような坂を登る俺が居た。別に天変地異が起こったわけでもなく、ましてや突然宇宙人が現れて、勝手に学校の敷地をあの坂の下まで持ってきてくれたわけでもないから当たり前といえば当たり前なんだが、一度でもいい、この坂を上る俺と交代してみないか。そうしたら嫌でも愚痴りたくなる気持ちが分かるはずだ。
とまぁここまではいつも通りだ。問題はその後だったよ。
教室のドアを開けた瞬間に俺の胸元に突撃してきた謎の物体に意表を突かれ仰向けに倒れた。なんだ、谷口か国木田がガキみたいないたずらでも仕掛けたのかと、その謎の物体を視認しようとした瞬間に頬を生暖かいものが這って、思わず声を上げそうになる。だが、その直前に視界に入ってきたのはネコの顔のアップだった。正確には、そいつは昨日朝倉が拾ってきたハルカに間違いない。
…あー、つまりなんだ。さっき飛び込んできたのはハルカで、頬を這ったのはハルカの舌だったわけか。
「あ、ごめんなさい。もう、ハルカ、だめでしょう」
降ってきた声は間違いなく朝倉のものだ。その声に反応するように「にゃー」と鳴いたハルカ。
すっとハルカを抱き上げようとすると、ハルカはすい、と廊下へ逃げ出した。
「ハルカ、待ちなさーい!」
ひょこひょこと逃げるハルカを朝倉が追う。というか、仮にも学級委員長であるんだから廊下を走るべきではない、というか人をまたぐべきではないというか、なにやら白いものがチラリと見えたというか…。
立ち上がって俺はぱたぱたと制服についた埃を払っておく。全く朝から随分な歓迎なもんだ。ハルカを捕まえた朝倉が苦笑いしながら帰ってきて、
「ハルカ、あなたを見て思わず飛び出したみたいなの。まだみんなにも慣れてないみたいだし、ちょっと不安だったみたい」
と言う。まぁ、確かにネコが教室にやってきたら撫でるやらなんやらで、逃げたしたくなる気持ちも分からなくはな、
「ちょっと待て。なんで学校にハルカを連れてきてるんだ」
大体学校に動物なんか入れてはいけないんじゃないのか。
「何故って…私達の子供だからよ」
そこ、頬を染めるな。周りが、特に男子の視線が痛い。ちょっと待て。人間同士の子供でネコが生まれるわけがないだろう。おい、谷口、暴走するな。国木田、とうとうやっちゃったか、みたいな顔をするな。女子は女子で朝倉と俺の肩を「がんばってね」とか言いながら叩いたりするし、もう朝からクラス中大騒ぎだ。
「そういう意味じゃない。なんでネコを学校に連れてきているんだ」
「だって、一人で置いていくと寂しくて死んじゃうじゃない」
それはウサギだ。というか、ウサギも別に寂しくて死ぬのじゃなくて、あまりに触らなさ過ぎたり、触りすぎたりすることのストレスでだな…と、また話がずれた。学校は動物禁止だろうという話だ。
「あら、それなら大丈夫よ。ちゃんと校長先生にも許可もらったから」
だからそういう問題じゃ…ん?
「校長…?」
「そ、校長先生。「ネコを家に置いておいたら悲しくて死んじゃうかもしれないので、学校につれてきてもいいですか?」って聞いたらすぐにOKしてもらえたわよ」
うちの校長、そんな無茶な要求をのんでいいのか!これではすぐに教室中が動物園になりそうだ…。にしてもその許可を取りに行こうとと考えるのも、実際に取ってくる行動力も相変わらずだ、朝倉。
「とにかく、これでハルカも寂しくなくて済むわ。ただ問題はまだ学校に慣れてないからちょっと落ち着かないことかしら」
既に寝息を立てているハルカの頭をなでりなでりしながら言う。許可を取ったなら俺がとやかく言う必要はないだろう。好きにしてくれ。
「ほら、ハルカ。パパですよー」
”パパ”という言葉にまた反応するクラスメイト達。勘弁してくれ。朝倉もわざとやってるだろう。
「わざとって何を?」
しまった、天然か!
休み時間の間、朝倉の周囲に集まってくる女子。もちろん、元々朝倉の人気もあるのだが、今日は…というかこれからは違う。お目当てはもちろんハルカなのだ。
気持ち良さそうに撫でられてるハルカが時々ゴロゴロと喉を鳴らす。あー、もうどうでもいい。勝手にやってくれ。自分の席から谷口・国木田コンビのところへ退避する。
「よう、犯罪者」
「誰が犯罪者か」
「あの朝倉と付き合うこと自体重罪なのに、子供をもうけ、ぐふ」
食らえ、鳩尾!
「ははは、まあ子供については冗談だろうけど、動物を連れてくる許可を取ってくるなんてなかなか大胆だね」
まあ行動力はいつも通りと言える気もするがな。
「そうだね。何でもやろうとする行動力は僕達も見習わなきゃ」
とはいえ、たまに行動力がありすぎるのも問題ではある気がするんだが。
「何を言うか!」
鳩尾の痛みから復活した谷口はなにやら叫び始めた。正直、こいつに一番見習って欲しい。
「朝倉さんはな、行動力がありすぎるんじゃない。行動力がみんななさすぎるからそう見えるだけでな、本当はこれくら」
キーンコーンカーンコーン
「さて、授業だ。席に戻る」
「分かったよ」
何かを声高らかに演説する谷口を放っておいて、俺は席に戻った。よし、あまり気にしないようにしよう。しかし、
「よしよし、ハルカー。今日は帰ったらお魚のカンヅメあげようねー」
「今日は日が照ってるから気持ちいいね。私も一緒にお昼寝しちゃいたいな」
「今日も帰ったらお風呂一緒に入ろうね」
などと言われたら、心穏やかに過ごせない。朝倉、頼む。もう少し、
「しーっ。ハルカが寝てるから起こしちゃダメよ」
ああもう、どうにでもしてくれ。結局その日は朝倉とハルカとクラスメイトたちに翻弄されて、疲れ果てて家に帰ったのは言うまでもない。