扉を開いた菫さんは部屋に走りこむと突然シャンデリアのチェーンを掴んで飛び乗った。
何をしてるんだと思った瞬間、シャンデリアごと菫さんが猛スピードで上空へ引き上げられていった。
「だ、大丈夫ですか」
「心配要らぬ。それよりも、もう入っても良いぞ」
言ってすぐに天井のシャンデリアから飛び降りてくる菫さん。おそるおそる部屋の中へ入る。
「時計の針の音が聞こえなくなったであろう?」
「時計の針の音?」
……そういえば初めて入ったときにそんな音がしていたような気がしたが、正直に言おう。それについては完全に忘れていた。
さっき部屋に入ったときは落ちる前に気づいて慌ててエレベータールームへ戻ったために心臓の心拍数が上がっていてとてもじゃないが時計の音など聞いていられなかったし、さっきも菫さんが扉を開けてすぐにシャンデリアへ飛び乗ったから、金属が擦れたりぶつかる音で完全にかき消されていた。
判断基準は音か。今度来たら確認してみよう。そんなときが来ない方が個人的にはありがたいがね。
入って天井を見上げると、さっきまでの4、5倍の高さになっている。なるほど、こんな仕掛けになってたのか。道理で入り口の割にやけに天井が低いと思った。
「ここはからくりが多くての。かなり慣れるまでは非常に住み辛い。この照明を引き下ろすとこの部屋全ての鍵が開く仕組みになっておるのだが、儂もこれに気づくまでに数度落とされたぞ」
ほほほと袖で口元を押さえて笑うが、正直落とされたらここまで戻るのにあの双六を何度クリアしなければならないか分からないから、それを考えるだけでも憂鬱だな。
「あの通路から飛び降りればいいだけのことであろう?」
「そう、ぴょんぴょんと飛び降りれるのは菫さんくらいのものですよ」
「お主も鍛えればあの程度の段差など大したことなくなるぞ」
そんな人間離れしたくない。ここのシャンデリアから飛び降りるのもそうだが、あんな高さから飛び降りたら足が普通は折れるか、最低でも捻挫は免れられないだろう。
だがこの人はいとも簡単にその高さを降りてくる。全く、どこまで超人なんだろう。
「部屋の底が開くと下の部屋のからくりが全て元通りになってしまうのが面倒ではあるな。お主にとっては鍛えるには絶好かもしれぬがな」
今俺たちが出てきたところから見て左、つまり入り口から見て右の扉を菫さんが開けると、その先は上り階段になっていた。
「右ルートの炎の犬が倒せないです」
「ふむ? その刀があれば十分に倒せると思うのだがの」
「近づくだけで熱すぎてとてもじゃないですけど戦えません」
「技は持ち合わせておらぬのか?」
「全く」
「それは些か心許ないな」
菫さんは「ふむ……」と扉をまたいだ直後に腕を組んで悩み始め、
「となれば先にお主を鍛える方がいいような気がしてきたの。娘もこの館内に居るのであれば死にはせんであろう」
こちらはそう気楽に構えられないから早く会いたいんですが。
「そういえば何で娘さんに会おうと思ったんです?」
「それがだな……」
階段を1段ずつ上りながら菫さんが答える。
「夕餉の時間であるのだが、娘が帰ってこぬのだ」
夕餉、って確か夕食のことだったよな? 時間の概念が無さそうなのに夕飯という概念はあるのか。日が昇らなければ、もちろん沈むことも無い世界なのだから無いと思っていたが。むしろ日が昇らないからいつ食っても夕飯、というのならばそれはそれでなんとなく納得できるけどさ。
「儂は炊事が苦手での。朝餉から夕餉まで全て娘が作ってくれるのだ。故、平素ならば既に帰ってきておる娘が戻って来ぬのは母として不安であるのと同時に生活にまで差し障りが出るのだ」
確かに食事がまともに作れない人間が冷凍食品やインスタント無しで生活するのは死活問題になるよな。
「でももし、娘さんがお嫁に行ったりしたらどうするんですか?」
「ほほう?」
さっきまで手元に無く、どこに隠したのかと思っていたら、長門以上に平坦な(と言ったらどうなるか怖くてとても言えないが)胸元から突然鉄扇が出てきた。
「ふふふ、良い女には秘密が多いものよ。して……今の発言は儂の娘を娶るという意味で良いのか?」
「……え?」
何故またそんなに唐突に。
「嫁に行くなどと言い出したから、お主が嫁として掻っ攫っていくからこれから1人で生活しろという意味かと思ったぞ」
「そもそも会ったこと無いんですから、突然嫁とか言われても向こうも困ると思いますよ。最終的に元の世界へ戻らなきゃいけませんし」
「こちらで骨を埋めれば良かろう?」
「無茶です、さすがに。向こうに家族や友達が残ってますし。それに俺はまだ高校生ですから結婚もできませんし」
「こうこうせいとはなんぞや?」
あーそうか。こっちの世界に学校なんてものは無さそうだ。
「寺子屋なら分かります?」
「存ぜぬ」
何か古風な日本人という感じはしても、実は日本人ではないんだよな。もしかして寺子屋なら分かるかと思ったが、さすがに無理だった。