覚えているだろうか。
 涼宮ハルヒという人物が、俺にとっては遥か前だがこっちの世界ではつい数日前、自分の都合により始めたダイエットを周りにも強制して始めさせ、全身運動になる上に水の抵抗がどうのとかいうことで最適であろうと水泳に通っていたことを。
 俺は言われるまですっかり忘れていて、1度家まで取りに帰るハメになった。
 まあそれはいいとして。プールでのダイエット作戦はなかなか長期になりそうだと踏んでいたのだが、俺が水着を忘れて取りに帰らざるを得なかった日の翌々日くらいに朝比奈さんが体調を崩したらしく、その数日後に古泉も体調を崩したため水泳は一時中止となった、というか俺が中止するよう申し立てた。そうでもしないとこいつは残っている人間だけでも無理やり連れて行きそうだったからな。
 体を鍛える為に行っていた(正確を期するならダイエットだが)のに体調を崩していては意味が無いよな。プールに入った後、頭を拭いたりしてはいたが完全に乾かすことができずに外へ出たことや夕方まで泳いで外が大分冷え込んでから帰ったりすることがあったのが大きな原因だろう。
 だがハルヒはまだまだ運動をしようという気概はあるらしく、
「風邪を引いた人はちゃんと治してからだけど、その他の人は家に帰ってもちゃんと運動しなさいよ。水泳に行かないからって気を抜いてたらすぐに体に肉が付くんだから。そうね、毎日何やったか報告してもらおうかしら」
 何故そんなことをしなければならないのかを尋ねる必要は無い。涼宮ハルヒという人物の言動に全て理由を尋ねていたらきっと人生の大半を費やし、結局その全ての時間を無駄にすることになるだろうからな。
 さて、律儀にやろうとする俺も俺だとは思うが、確かに体を鍛えておいて損はないとは思う。健康のため、というのもあるがなんといってもいつあの剣と魔法の世界へ放り込まれるか分からないからだ。嫌だと言っていても連れて行かれるのだったら、行ったときに苦労しないように準備をしておいた方がいいことが良く分かった。
 俺のキャラではないと思うがね。なんでこんなに先回りして努力をする人間になったんだか分からん。運命の歯車とやらが存在するとすれば誰がその運命の歯車とやらを入れ替えたんだろう。勝手に入れ替えた奴が分かったらそいつをひのきの棒のみであの世界に放り込んでやりたいね。
 とにかく何をやろうか。
 予想通り、うちの妹に長門から請け負ったアプリを教えてやったらずっとパソコンでやっているお陰で食事の後に俺の部屋へ来ることがなくなった。つまり部屋の中で出来るトレーニングでもいい気はするんだが、じゃあ何をやるかと言えばオーソドックスな腕立て腹筋背筋くらいしか思いつかないな。
 思いついた通りにやってみるも、腕立て伏せはあごをつけるくらいまで下げることもできないのに10回ほどでギブアップ。こんなに筋肉落ちてたのか。昔の体育ではもうちょっとできた気がしたんだが。
 今度は腹筋に挑戦。こっちは20回ほどできたが、限界がそこ。せめて50回くらいはと考えてんだがどうやら甘かったらしいな。
 水が無くなってびちびち跳ねてるような背筋も100回やったとはいえなんとも運動したという感覚が全く無い。さすがにこれで運動しました、というにはちょっと無理があるよなあ。
 単に自己満足のための運動なら最初はこれくらいで明日はもうちょっと増やそう、ともいけるがハルヒにやったことを説明しなきゃならないとなるとこれはいくらなんでも少なすぎる。
 仕方が無い。こうなったら走りこみでもしてくるか。これなら既にハルヒの命令の下で何度かやっているからある程度走れるのは分かっている。痩せるには有酸素運動が効率が良いとも言われているし体力を付けることは何においても大切だ。
 ランニング用に学校のジャージへ着替えていると視界に竹刀が入ってきた。そういえば中学のときの体育で剣道があって、そのときに買わされたんだった。この前部屋を掃除したときに出てきて、部屋の隅に立てかけて置いたんだったっけ。
 ついでに素振りでもしておくか。一応向こうでは剣士という職業に近い、剣を主力武器にして戦っているんだから竹刀でも何でも振り回せるくらいにはなっておいた方がいいだろうな。
 公園で……いや、それよりも家の近くでやった方がいいか。公園なんかでやったら不審者と間違えられる可能性もある。ただでさえ「ハルヒの一味の」という不名誉な接頭語が付いている手前、あまり妙なことはしない方がいいな。家の前にしよう。
 ってことはランニングには持っていく必要は無い。玄関に置いとけばいい。
 コースを決めていなかったが最初だから学校に向かって走ることにして走り出し10分ほど。遠くから走ってくる3人の影。
 街灯も遠く暗かったから何気なく通り過ぎようとしたら、
「あら、キョン君?」
 聞きなれたソプラノボイスが俺を引き止めた。
 じっと目を凝らしてみるとさっきすれ違った3人は朝倉、長門、実希の3人だった。
「もしかしてランニング?」
「ああ。ハルヒの命令通りにな」
「私たちも丁度そうしてたところ。大体15キロくらい走ったかしら」
「……15?」
「ええ、15キロ。もうちょっと長いかも」
 俺と同レベルの距離を走ってジョギングになるとは思えなかったが、さすがに2桁の大台とは思わなかった。さすがというしかないな。
「さてと、それじゃあなたも頑張って。私たちももうちょっと走ってから帰るわ。長門さんがコンピ研での仕事を持って帰ってきてるみたいだから、終わったらしなきゃいけないのよ。ね、長門さん」
「そう」
 手を振って去っていく朝倉と無言のまま頭を下げた長門、起きてるのか寝てるのか分からないまま朝倉たちについていく実希を見送って俺はもう1度気合を入れなおして走り始めた。あいつらほどはさすがに走れないが、ちょっとくらい頑張って走ってみるか。
 言うまでもなくその無理が崇り翌日筋肉痛になっていたが。