寒い。いや、マジで。
今日は厚めのジャンパーを着ているが、正直夜は冷え込む。桜は咲いたが、本格的な春はもうちょい先のようだな。
現在午後12時ちょい前。翌日の午前0時前と言った方がいいか。
長門に「今日の夜、またあの家の門の前で」と言って別れた後、やれやれ、今日も疲れたな、しかしまた明日も夜に落ち合わなきゃいけないとなると、今日は早めに寝ておこうとかぼやいていて、はたと気づく。
おいおい、時間決めてないぞ。ハルヒといい、長門といい、時間指定をしないのが、集合するときの流行なんだろうか。
何故ここでハルヒを引き合いに出してくるか、それは既に忘れている可能性も大であるだろう、あの新入組員歓迎会である。
いかんせん、3ヶ月も前の話であれば、忘れていておかしくない話である。まあ、それより、さっさと長門に時間を確認する方がいいだろう。
にしても、あの時には長門が迎えに来てくれたよな。まさか、今回もか?
「……午後12時」
そっちに期待するよりやっぱり電話すべきだろうと、ダイヤルしてたずねるとすぐ、長門がそう言った。
つまり、俺に抜け出せと言うのか。
「……」
沈黙。肯定と取るべきか、取らざるべきか。いや、それ以前に何故夜に出向くのか。それが分からない。まあ、理解したところで、特に意味はないだろうけど。
「情報操作をしておく」
「いや、いい。自分で抜け出す」
「……そう」
誰でも使える道具とは違うんだし、無闇にそういう能力を使うべきじゃないだろう。静かに出れば大丈夫、ばれやしないって。
それに長門にそんな役目ばかり押し付けるのも心苦しい。とにかく、自力で抜け出す。
「分かった」
このようないきさつから、約束の時間になるちょい前に、俺は門灯と街灯が仄かに照らす薄暗い中、日野家の前に立っていた。
この時間に、こんなところに立っていては、正直不審者と間違えられてもおかしくない。人っ子どころか、車の音も聞こえないような閑静な住宅街だからな。
長門、早く来てくれよ。こんなところで職務質問なんかされたくないぞ。
居心地の悪さを感じつつ、遅れることきっかり5分。小さい人間型の輪郭が暗闇にできた。その輪郭は、ほとんど足音も立てずにやってくる。
やれやれ。たまたま、向いている方向からやってきたから良かったものの、逆側からやってきていたら、飛び上がって驚くことになっただろう。
つーか、普通に歩いてるように見えるのに、この音の無さはなんだろうな。何か、長門の履いている靴に特殊な細工が……。
いや、んなわけないか。上履きの時も、似たようなもんだし。
「待った?」
「いや、そうでもない」
実際5分程度だし、待ったと言うほどではないだろう。誤差範囲だ、誤差範囲。
長門は、夜闇に溶け込む髪を揺らしながら、この前昼に侵入しようと目論んだ、というか実際侵入した外壁までやってくる。やっぱり、ここか。
前と同じように、俺の方を気にすることも無く、壁にしがみついてよじ登った長門を、下から見えないような位置に動いてから、俺も追うように壁を登る。壁の上を歩いていくと、まもなく屋根へ移る。
音を立てないように屋根の上を歩くと、前正治さんが顔を出した窓がある。
「そこ、正治さんの部屋の窓なのか? この前は急いで逃げ出したから、よく分からないんだが」
声を潜めて長門に問う。中を窺ってから、こっちを見、こくりと一度だけ頷いた。どうやら、一発で当たりを引いたらしい。
ここから見ても、小さく明かりがともっているように見えるから、もしかするとまだ勉強しているのかもしれないな。全く、学生の鑑だね。
長門が2度窓をノックする。ガラガラと窓が開き、顔を出したのは、
「き、君た、」
「しっ」
長門の強い調子に、正治さんは慌てて声のボリュームを落とした。
「どうしたんだい、こんな時間に」
すみません。長門が何か聞きたいことがあるらしいんです。で、人が居ないこの時間を選んだみたいなんですが……長門、聞いてみていいぞ。
「分かった。あなたは深山静香を知っている。でも、知らないと言った。何故?」
「いえ、本当に……」
じっと、真摯に長門に見つめられて、「う」とか「あ」とか言って何か誤魔化そうとしていた正治さんは、諦めたように呟いた。
「知っているよ。彼女を良く、ね」
長門の推察通りのようだった。一度言い始めたら、堰を切って流れる言葉。
「物静かで、非常に良い人だよ。物腰も柔らかくて、図書委員でも真面目に働いていたし、本当は……」
そこで一度区切る。
「でも、だめなんだよ。僕は親が決めた許婚が居る」
「好きなんですか? その許婚を」
「さあ」
さあ、って……。
「いや、ごめん。一度も会ったこと無いからね。僕もよく分からないんだ」
あはは、と困ったように笑うその姿は、月夜に照らされて、女とも見まごう姿だった。
「一人っ子だからね。家も継いで、家が決めた許婚と結婚して。それが、この家に生まれた僕の運命なんだよ」
諦めのため息を1つ吐く。続けて、
「だから、彼女にも会えないんだ。会いたくても、会う資格が無い」
そう、ですか。
これ以上は、きっと正治さんにとっても辛いだけだろう。帰ろうか。
「今度は、昼間に来て欲しいな」
ええ、そうさせていただきます。夜更けにすみませんでした。
「いいんだよ。丁度、勉強にもキリが付いたところだったし」
やっぱり勉強していたらしい。この人は、根っからの勉強家で、真面目な性格なんだろう。親に迷惑を掛けたくない一心で、家でも学校でもがんばっているに違いない。
塀まで戻ってきて、今回はちゃんとついてきてるだろうなと振り返ると、果たしてまた長門が屋根の上に残っていた。日向ぼっこが好きな猫か、お前は。今は月光浴しかできないぞ。
「後悔する」
そうとだけ呟いて、長門は屋根を降りた。