久しぶりに来た深山さんの病室は、相変わらず傍らに置かれた棚の上に、前人未到の山岳地帯のように、雑多な本が山積みされていた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは」
「……」
読書中だった深山さんは、視線を文字から俺達の顔に移して、笑顔を見せた。長門は黙って頭を下げる。
「あんなことがあってからだから、もう来てくれないかな、って思ってたんですよ」
でも、来てくれてよかった、と続けてから、閉じた本を山の頂上に積んでから、こちらに向き直った。
「今日は長門有希さんと2人だけなんですね」
「ああ、他は今日用事があるとかで欠席です」
ハルヒたちは今日も会議で、いい案がないかと顔をつき合わせている頃である。深山さんの見舞いに久しぶりに行ったらどうかと提案すると、
「じゃ、あんたと有希の2人で言ってきなさい」
と。適当だな、ホントに。
「そうだ。花瓶の水でも取り替えてきましょうか」
「いえ、さっき親が来て、変えてくれましたから」
そして、しばし考え込むような仕草と沈黙。
なんだろうな、この沈黙は。何か思い出したような、都合が悪いような、そんな静寂だ。
何か言いにくいことなら、無理に詮索するべきではないだろう。
しかし、それを知る時は程なくやってきた。
「あの、聞いてもらえますか?」
釣り糸を垂らし始めて数分、さっそく手持ち無沙汰になって、何をしようかと悩み始めた釣り初心者気分だったため、思わず挙動不審になって、
「な、何かな?」
と初めて有名人と対面した一般人みたいな返答してしまった。それをさして気に留めず、今度は長門の方を向き直って、
「長門さんもいい?」
長門にそう尋ねて、首で肯定の意を示すと、残り少ない絵の具を搾り出すように、声を出した。
「私、引越しするんです」
……なんですと?
受け取った本を、ためつすがめつしていた長門も顔を上げた。
「親の転勤が決まって、海外まで。えっと……どこだっけ、ちょっと待ってくださいね。えーっと……、あ、そうでした、バヌアツです」
コンピ研部長の両親といい、この人の両親といい、なんかすぐに世界地図持ってきて「ここだ!」と指をさせないような場所にばかり行っているのは何故だろう。
どこだ、バヌアツって。東南アジア、大体ニュージーランドの上辺りだろうか。島多いし。
「あれ、じゃあ病院はどうするんですか?」
「大丈夫です。退院が3日後くらいで、それから2,3日もしないうちにはもう飛行機乗ろうって」
言いながら、ベッドから起き上がって、立ち上がる。
「ほら、もう大丈夫なんですよ」
確かに、支えなしの状態で両足立ちしても、ふらつかない程度にはなっていた。
しかし、ちょっとすると、ベッドの上に座り込んでしまう。さすがに、数分立つのが限度のようだ。
「とりあえず、あとは慣らしていくだけだから、無理しない程度に松葉杖を併用して、立てるようにがんばりなさいって」
そう……ですか。
「あと、一度親が向こう行ってきたらしいんですけど、なんか向こう気に入っちゃって、あっちで骨埋めるくらいのつもりだとか言ってました」
「ということは、こっちに帰ってこないんですか」
「それは分かりません。でも、基本的にしばらくは帰ってこないと思います」
そうすると、だ。
日野さんと出会える確率は、都会で野生のうさぎを目撃するくらい難しいだろう。まあ、つまるところ、絶対にありえないとは言い切れないが、限りなく低いと思っていい。
つまり、これで本当に日野さんとの仲を諦めるしかない、というわけだ。
「最初はちょっと待って、って思ったんですけど。でも、親の仕事だし、仕方がないですよね。義務教育はもう終わってるわけですし、いざとなれば向こうで働くとか、そういうこともしなきゃいけないかな」
「学校でそのことはもう言ってきたのか?」
「ええ、もちろん言ってきました」
そういや、深山さんが通っている学校ってどこだろうな。
「あ、そうそう」
ぽむと手を打って、平積みされた山の中から、何かを一生懸命探し始めた。
「あれ、こっちじゃなかったかな……、あれれ?」
別の山、鞄の中を探し、ようやく目当てのものを見つけたらしい。「あ、あった」
「この本お返ししますね」
「そう」
それは、大分前に長門から深山さんが仮借していた本だった。そういや、そんな会話もあったな。
「おもしろかったです。やっぱり、有名になるだけありますねー」
長門が賛同の意を示す。
「本当だったら、今度は私がお貸しする方だったんですが、ごめんなさい」
「構わない」
いつもの冷凍保存顔でそうとだけ言う。最近結構しゃべるようになったなと思ったが、深山さん相手だと、必要な言葉しか喋らないな。
「それで……お願いがあるんです」
できることなら、なんでもいいですよ。
「ありがとう」
そして、深山さんは語り始めた。
病院を出てきた俺と長門。
「ふー、やれやれ。やっかいなことに巻き込まれたな」
縦に1回。
「最後なんか、深山さん泣いてたぞ」
「こうするべきだった」
そうかい。まあ、仕方がなかったんだろうけどな。
「ない」
「……んじゃ、このまま日野さんの家へ直行するか」
「分かった」