全くもって、涼宮ハルヒという人物の脳内では、”不可思議ゲージ”などというものが存在し、これが1ナノメートルでも減少すれば、それを補填するような暴走的妄想を生産し、生産すると同時に実行されるのは、もはや自然の摂理と言っていいかもしれない。
そう言える様になってから、つまり俺たちがハルヒに出会ってから久しいわけだが、たまには良いかもな、と言っていいかもしれない状況を作り出すらしい。少なくとも今回は、今までで一番マシだと胸を張って言えるだろう。胸を張る部分を間違っているような気がしないわけではないが。
さて、俺たちが居るのは、茂みの中。いや、特に怪しいことをしているわけじゃないぞ。実際怪しいけどな。
「そろそろね……」
現在4時、10分前。そろそろどちらかが来てもいい時間だな。
実は、ともったつけるほどでもないだろう。現在、深山さんと日野さんが待ち合わせしている桜の木近くで張り込み中である。
「あれ? そういや有希は?」
「長門なら、深山さんの車椅子を押してるはずだ」
大分歩けるようになったとはいえ、まだ車椅子の方がいいだろうという考慮と、何かと事情を知っていてかつ仲の良い人間ということで長門が選ばれたらしい。まあ、状況を知っているのは俺もそうだが、何せ、今から告白するというときである。ここはさすがに辞退するべきだろう。
しかし、ハルヒは腹の虫が収まらないどころか、デモ行進を揃って起こしそうな勢いだ。
「なんで有希なのよ。あたしじゃ不満ってわけ?」
いや、そういう問題では……あるようなないような。
それに、あのとき長門から言われた「後悔する」という半分脅し文句が、今回の深山さんの行動力に繋がったんだろう。そうすると、ここは長門に任せておくのが最善策に間違いない。
「しっ、静かにしないとばれるわ」
委員長気質の朝倉が、少しずつ緊張感を無くした朝のホームルームの、教師が来る直前みたいに緩み始めたみんなをまとめる。と、それを見計らったかのように、日野さんがやってきた。
格好はジーパンに白地のTシャツ、上に薄めのジャンパーを羽織った、ちょっとラフな感じで登場する。
「割と普通ね」
ハルヒが漏らす。まあ、ここでタキシードとか着てきたら、さすがに引くだろ。
「まあ、そうなんだけど。でも、もうちょっと気の利いた格好できなかったのかしら」
分からん。まあ、何にしても俺たちが口を出すことじゃないだろ。
木の幹に背を預けて、枝を見上げる日野さん。その先には、雨で大分落ちてしまったが、まだまだ元気な桜が咲き誇っていた。大分花びらは散ってきたが、まだ他の桜に比べれば桃色の量は格段に多い。雨が降らなければ、もう1週間くらいは花見ができそうだな。
それから15分、つまり約束の時間を5分超えて、観客席のハルヒがだんだんと痺れを切らした頃、
「あっ……」
朝比奈さんの声と指の方を向くと、果たしてそこには、事故でガラスの靴を履けなくなったシンデレラが、長門に車椅子を押されている姿が見えた。白いワンピースに桜色のカーディガンという、春めかしい装いの深山さんは、桜に宿った妖精のようにも見えた。
「すみません、お待たせしました」
「いえ、それほどでもありませんよ」
深山さんと日野さんの距離が、およそ日野さんの歩幅で3歩ほどになったところで、長門は押していた車椅子を離し、勝手に転がらないのを確認してからその場を去った。
それからしばらくの間沈黙する。まあ、そうだよな。こうやって面と向かって2人きりで話すことなんか、今までなかっただろうし。俺も突然女子と2人きりになったら、何を話せばいいか迷うだろう。
……ああ、ハルヒは例外か。迷う前に、あいつが何か話しかけてくるというか、勝手に喋るというか。
静かに二人を見守っていると、先に口を開いたのは深山さんだった。
「……ずっと前から、好きでした」
ストレート、ど真ん中剛速球。
「あなたにとっては、そうでもなかったかもしれないですけど、図書委員でたまに声を掛けてくれるだけで、本当は飛び上がりたいくらい嬉しかったんですよ?」
完熟トマトみたいな赤い顔を下に向けたままだったが、ゆっくりと車椅子から立ち上がって深山さんは語った。
「日野さんはいつも学級長とかやってるような人だし、私には不釣合いだなぁって思ってたんです。でも……」
ゆっくりと顔を上げて言う。
「それでも諦め切れなくて。ずっと悩んでました。それで、たまたまあの人たちが来てくれて、こんなところで出会わせてくれた。だから、言います。私と付き合ってください」
がばっと顔を下げると同時に、体が倒れ掛かった。「あっ……」
そこをすかさず受け止めた日野さん。丁度二人は抱き合うような形になって、すぐ目の前に互いの顔が来る様な状態になった。
日野さんはじれったくなるような動作で車椅子に深山さんを座らせてから、2分休符3つ分くらいの時間を置いて、声を出した。
「……実は僕も、ずっと前からあなたのことが気になってました」
完熟トマトに、今度は火まで点いたようになった深山さん。日野さんも深山さんほどではないが、随分と頬が赤い。
「本当だったら、僕も図書委員になりたかった。でも、みんなが学級長に薦めるのを断るわけにもいかずに、結局学級長をやることになってしまったんです。それに、高校だってあなたと一緒の学校に通いたかったんです。それも、やっぱり叶わずに、すぐ隣町にある別の学校に通うことになってしまったんです。僕、割と流されやすいみたいですね、ははは」
「え、え? 地元の高校だったんですか?」
「へぇ、そうだったんだ」
ハルヒが声を殺しながら言う。
ああ、そうか。あの時言ってた「本当に行きたかった学校」っていうのは、深山さんが通う高校だったわけか。
「はい。地元の、ある高校がいい大学に行ける、なんて情報を親が聞いたのがきっかけで、願書を出す数日前にこっちの高校に受験することが決まったんです。地元だったのは好都合だと思っていました。これなら、いつでも会えるだろうって、そう思ってましたから」
話を続ける日野さんの顔が急に暗くなった。
「でも、それは違ったんです、残念ながら。地元とはいえ、毎日のように補習授業があって、朝から夕方遅くまで勉強ばかり。外を出歩くことがほとんどできなかったんです」
だから深山さんと出会うこともほとんどなく、別の学校に行ったものだと信じていたのか。
「本当なら、今も勉強時間なんですけどね、抜け出して来てしまいました」
あはは、と照れ笑いをすると、深山さんもつられて2人で笑い出した。
笑い声が途切れると、日野さんが言葉を続けた。
「ですから、あなたの思いは嬉しい。僕も願ったり叶ったりですから。……でも」
一度言葉を区切り、目を瞑ってから、
「深山さんは海外に行くんでしょう? 親御さんの出張で次に何時帰ってくるか分からない。それまで、僕は待っていられる自信がないんです」
「あ、あの……」
おずおずと深山さんが切り出す。
「え、えっと、怒らないでくださいね?」
「ん? 何ですか?」
「……引越しは嘘なんです」
「…………え?」
「ええっ……むぐっ」
ハルヒが大声で叫びそうになったのを、思わず口を塞いで止める。長門も手際よく、大声担当の鶴屋さんの口を封じた。お手柄だ、長門。
って長門、何時の間に戻ってきてたんだ。
「その、海外に引越しとか言ったら、もしかすると、決心してくれるかなぁ、なんて、その、思いまして」
人差し指をつき合わせて、もじもじとしながら真相を明かす。日野さんはその様子を見て、
「……ははっ……、ははは! これはやられました。そうか、嘘だったんですか」
くすくすと笑い始める日野さんに、
「も、もう! そんなに笑うなんてひどいですよ! これでも一生懸命がんばって嘘ついたんですから!」
そう。
あの日、引越しをすると打ち明けた深山さんが何かを隠していると即座に見破った長門は、深山さんに「実は引越しは嘘である」と自白させていたのだった。
「非合理的。決心がないなら推奨しない」と冷たく言い放っても、「後悔はしません」なんて気丈に返した深山さん。それを見て「……そう。今のあなたならできる」と長門のお墨付きをもらって、嬉しかったのか思わず泣き出した深山さんが長門に抱きついたという事実もあるが、それは内緒にしておこう。
その事実を知っていたのは俺と長門、嘘の張本人、深山さんの3人だけだったので、ハルヒからの視線が今、ものすごく痛いことになっている。全身痛点のみを的確に五寸釘で刺しているような感じだ。
「嬉しいことです。……それでも無理なんです」
そうだ、日野さんの方は嘘じゃない。
「僕の方が海外留学をさせられるんです」
「そう……ですか」
残念ながら、ここで終わり――
「ふむ、ならば海外留学は取り消そう」
ずぼっと、植え込み3つ分くらい離れた茂みから立ち上がった黒い影2つ。
「と、父さん! 母さんまで」
な、なんだって?!
「うふふ。母さんも、ちょっと見てみたくなったのよ、正治の好きな人」
ハンカチを口元に当てたまま、朗らかに笑う日野母の隣で、拡声器でも使ったみたいな声量の日野父は、
「いや、なんだ。お前に全然しっかりせんから心配しておったんだ。それゆえ、一遍海外に放り出してみたらどうにか甲斐性の1つや2つはつくかと思ってな。しかし、好きな女ができたならまた別だ。うむ、父さんは息子が欲しいぞ」
当人2人は、困ったような、恥ずかしいような表情のまま、固まってしまった。
「さあ、君達もそんなところに隠れてないで、出てきたらいい」
って、ちゃっかりばれてるし!
「み、皆さん……」
「いやあ、ど、どうも……」
ものすごく恥ずかしい。もちろん、ここに居たのは秘密にしてあったし。
「んじゃあ、今日はパーティーとでもいくか、母さん」
「そうですね、うふふふふふ」
その日の夜、日野家で開かれたパーティーは、誰にとっても忘れられない一日となった。何よりも、幸せそうな2人の笑顔が思い出に残っている。
あれから数日後。
いつも通りの学校生活に戻った俺たちだったが、最近ある噂を耳にするようになった。それは、休み時間、女子同士の噂話である。
「ねえ、知ってる?」
「何?」
「なんかさー、近くの公園のはずれに大きな桜の木があってね。その桜の木の根元に、ラブレター書いて埋めておくと、願いが叶うって噂があったんだけど――」
あの日、ビンに入れた手紙を掘り当てたハルヒ本人は、溜息ばかりついているが、それが憂鬱で陰鬱で仕方がない、というよりは、日野さんと深山さんの幸せそうな顔を見て、結婚式に出席して当てられた友人のような、自分も幸せになりたい、みたいな溜息だった。
「あの噂、その後に続きがあってね。誰かが掘り当てて、その手紙を差出人本人に届けてくれたら、恋が叶うんだって!」