そう、きっかけはなんでも良かったんだろうな。”そのとき”は暗くなってからやってきた。
「何沈んでるのよ」
沈みたくもなるさ。何を間違えたらこんなところに来るんだか。
「いいじゃない。どうせ夢なんだから楽しみなさいよ」
夢……ね。また寝てるときに起こされたからな。そろそろ寝るとここに来るというトラウマになりそうだ。
灰色単色の空。一瞬で名前を思い出す。”閉鎖空間”。前ハルヒと……、いや何も思い出さないでおこう、閉鎖空間に来たときと同様だろうと最初は考えていた。しかし、今回の閉鎖空間は今までと違うことに2つ気づく。
「驚いているみたいですね」
お前もな。いつもの余裕の笑顔が崩れ始めてるぞ。
「おっと、これはいけませんね」
そう、古泉が居る。あの赤い球体のではなく、姿かたちが古泉一樹のままである。もちろん、古泉だけではない。
「みくるちゃん、有希。ちゃんと同時に離して」
「大丈夫」
「は、はい!分かりましたぁ」
長門、少しひきつった笑顔の朝比奈さん。そう、元SOS団メンバーのみである。
「あなたも気づきましたか」
ああ。…どういうことなんだろうな。ハルヒが久しぶりにSOS団のみで遊びたいと思って、またここを作ったとか。
「そう最初は思いましたよ」
「思いました、ってことは今は違うのか」
「ええ。妙なんです」
古泉に釣られて、見上げる空は相変わらずコンクリートを塗りたくったかのような灰色。しかし、違和感のもう1つはここに。
「街灯も何も点いていないのに何故明るいか……だろう」
「ご名答。ゲームのダンジョン内で、明かりがなく唐突に明るい場所は”ヒカリゴケ”が生えている、なんて設定があったりもするんですが」
残念ながらゲームの話ではないし、ダンジョンの中でもない。灰色が覆う世界である、まともな思考では真っ暗な世界を想像するものだ。しかし夏の真昼間とまではいかずとも、すこし日が傾き始めたかな、という明るさで世界が包まれている。
普段の俺たちが住んでいる町。いつもと違うのは厚い雲に覆われた暗いはずの世界で妙に明るいこと、古泉や朝比奈さん、長門のみ居ること。ただそれだけなのに、ものすごい不安感に揺さぶられる場所だ。
「涼宮さんの閉鎖空間は大小はありますが、内部構造はほとんど変わりません。閉鎖空間は言うなれば生活の鬱憤を晴らす場ですから、暗く広がった町で街灯など一部の人工的な光源が存在はしますがほとんど世界は灰色、ほぼ黒といっても過言ではないでしょう。ですから、ここまで明るいことはほぼないと考えるのが妥当でしょう。少なくとも僕はそう思います」
俺も回数は少ないが行った経験からして、ここまで明るい閉鎖空間には入ったことがない。というか閉鎖空間なんていうネガティブ一直線な名前も似合わないくらいだ。
「それは確かにそうですね。開放空間、なんて呼んだ方がしっくり来るくらいです」
くっくっ、と小さく笑う古泉。
「そしてもう一つの疑問点。僕たちがここに居ることです」
「SOS団メンバーのみで遊びたいとか、心のどこかでハルヒが望んでいたからとかいう可能性もあるがな」
「そう言えば納得できなくもありませんが、前者の問題が解決出来そうにないことから後者も涼宮さんの閉鎖空間であるかないかの決定的な判断材料にはなりません」
まあ確かにな。楽しそうに凧を揚げるハルヒを見ながら古泉は続ける。ハルヒ、はしゃぎすぎてこけるなよ。
「しかし、やはり否定したいところです。こちらに来たばかりのときに涼宮さんが言っていましたから」
何をだ?
「せっかく朝倉さんも手伝ってくれたのに一緒に飛ばせないのは残念よね、と」
…そうか。
「涼宮さんは普段の言動や行動から、失礼ながら慇懃無礼に見られることでしょう」
というかその塊と言いたいところだ。しかし、朝倉を探しにマンションへ行った時の言葉遣いや行動を見る限りでは、最低限のマナーはできているみたいで、ということはつまり俺たちやクラスメイトはどうでもいいということか?
「そうは言いません。しかし、彼女にとって重要ではないことですからあまり気を回すことはないでしょう。ですから、わがままにしか見えないのです」
「みくるちゃん!ちゃんとSON組って文字見えてる?」
「は、はーい。見えてますよー!」
走りながら朝比奈さんに叫ぶハルヒと、返答する朝比奈さん。凧を揚げる直前まで凧を持っていた長門はお役御免になったためか、段差に座りこんでまた本を読んでいる。
「それでも彼女は彼女なりの優しさを持っています。きっと誰か1人でもSON組が突然欠けてしまったら全力で探すでしょうね」
突然いなくなったらミステリーだからな。あいつの好きなことだろう。
「本気でそう思っているのでしたら、僕はもう何も言うつもりはありませんが」
語尾が少し鋭くなる古泉。
「本気ではないさ。ただし、あいつが好みそうである状況だということは確かだろう」
「それはごもっとも。しかし、悲しみの方が大きいでしょう」
「そう……かもな」
俺が居なくなったとき、ハルヒはどうするんだろうか。朝倉曰く、「大きな情報爆発が観測される」。そんなことはどうでもいい。SON組のメンバーとして、元SOS団メンバーとして。それ以上の関係として…ということはまあ置いておくとしよう。
「その話は涼宮さんだけに限ったことではなさそうですけどね」
張った感じの語調から、古泉の声がふっと和らぐ。どういうことだ?
「意地っ張りで鈍感すぎるみたいですね、あなたは。彼女たちも苦労するでしょう」
「キョン!こっちに来て凧揚げなさい!」
彼女たちって誰だ、と聞こうと思った瞬間にハルヒが凧を引っ張ったまま走ってくる。なんだ、それはお前が遊ぶためだったんじゃないのか?
「それもあるけどSON組の宣伝用でもあるのよ」
見た感じ、俺ら以外に誰も居そうにないがな。それに、こんな変な世界に来てよく遊ぶ気になるな。
「……そうね。どうにかなるだろうって、なんとなく思うから」
前もそんなこと言ってたような気がする。まさか前と同じようなことは、
「とにかく!さっさとやりなさい!」
少し頬を赤くしているのは気のせい……と思いたい。そうだ、あれは夢で今日のも夢なんだ。だからハルヒに振り回されていて、ってちょっと待て、いつもと何も変わらないじゃないかと悩む暇もなかった。もちろん、ハルヒが「早く凧を引っ張って走りなさい」とさっきからうるさいからだ。 凧糸を引いて走り出すとふわりと凧が浮き上がる。そう、ここもそう言えばおかしいんだな。凧の高さが安定してきてから今までの閉鎖空間との違和感をもう1つ発見した。
凧揚げするにはある程度風が必要だ。しかし今まではこれほどの風が吹いてはいなかったし、今は冬なのにほんのりと暖かい風が吹いている。そう、どちらかといえばうららかな春の陽気という方がいいだろう。そういう意味では季節感ぶち壊しではあるんだが…。
「キョン、何考え込んでるのよ!もっと楽しみなさいよ!」
ハルヒの声。……そうだな。
最近、いやある程度昔からの癖でもあっただろうが、全てのことに理由を探していた。楽しむ楽しまないの以前に、な。それは長門や朝比奈さん、古泉に出会って実は俺が生きている世界はハルヒの作った世界なんじゃないかと、実際俺も少しずつではあるが思い始めていた。だから、何かがあると「またハルヒが何かやりたくなったんだろう」と先回りして深読みする性格になりつつある。
しかし、今は童心に帰っていいんだ。ハルヒの閉鎖空間ならハルヒが飽きたらその内消えるだろうし、その他ならまたその他でどうにかなるだろう。幸運なことに、神様かそれに準ずるような人間、未来人、制限付きではありながら超能力者、宇宙人に作られた最強インターフェースとメンバーは揃いに揃っているんだから。
しばらく凧を揚げ疲れて、休憩に入ったところで長門が本を閉じた。そして俺の傍まで来て指を差す。すると、今まで明るかった世界がだんだんとあの”閉鎖”空間らしい暗さを増してくる。そして、しばらくしてから丁度長門が指差した場所から。
それは、雲であればたまに天使の梯子とか呼ばれたり、気象用語では光芒なんて呼ばれることもあるらしい、灰色単色の空から白が世界へ一筋差し込む。遠くから見てほんの数ミリくらいだった光の筋は、次第に帯になり筒になり世界を包み込む。そうか、この閉鎖空間の崩壊なんだな。
「キョン、見てる?!すっごく綺麗よ!」
ああ、よく見てるさ。
光は地面を包み、ビルや家を包み、学校を包み、俺たちを包み、全てを包んだ。