なんとかその嬉し恥ずかし滑り台を終わらせ、さて、次はどこへ行こうかね、そう思った瞬間だった。
悲鳴が聞こえる。それも一人じゃない、複数の。
「50mプールの方からだ。いくぞ、長門」
「分かった」
プールサイドは滑るから走らない!という張り紙がそこら中にしてあったが、ここは少し目を瞑ってもらおう。
たどり着いたときに俺達が目にしたものは!
……河童?
「河童」
「河童ですね」
「河童…ですよね」
「河童だわ」
「河童です」
俺、長門、古泉、朝比奈さん、朝倉、実希。誰がどうみても、いわゆる妖怪として語り継がれている河童である。
これは何事なんだ。何かのアトラクションの一つか?
「いえ、そんなことはないはずです。プールの従業員全員が機関関係者というわけではありませんが、最高責任者は機関関係者ですから、何かあるならそこを通るはずです」
てことは、マジで河童なのか。
「可能性は否定できませんね。ただし、今回も涼宮さんではない様子ですよ」
河童が抱きかかえているのは、涼宮ハルヒ、その人である。ハルヒ?!
「………」
河童は俺達とプールを挟んで対岸に立っており、ハルヒを置いて、なんだか口さけ女のことを思い出すな、猛スピードで走りさった。途中にある雰囲気出しのパラソル等の設置物には当たらないよう、器用に避けながら。
「行っちゃい…ましたね」
朝比奈さんの声で、我に返り、プールを越えてハルヒに近づく。おい、大丈夫か?
頬を軽く叩いてみてから、口元に耳を近づける。息はして、
「痛いわね、バカキョン!」
キーンとしたぞ、今!
ったく人が心配してやったというのに、耳元で大声で叫ぶとは何事だ。
「あんたが頬叩くからでしょ!」
「まあまあ、涼宮さんも抑えてください。特に何もなかったですか?」
「ええ……大丈夫みたい」
体中を触って確かめるハルヒ。とりあえず、医務室に行った方がいいだろうな、念のため。
「そうね。私が連れて行くわ」
ああ、朝倉頼んだ。
…古泉、俺はこっちに居なかったから、状況がよく分からん。説明してくれ。
「ええ、言われなくともそのつもりでしたよ」
少し離れた場所、カフェテラスみたいなのがあるんだが、そこを古泉が指差す。ああ、あっちだな。
奥まったところ、あまり人目に付きにくい場所を選ぶ。人数分の椅子が足りないので、隣の机からいくつか拝借。
「常に涼宮さんの方を見ていたわけではないのですが…」
古泉が切り出す。
「僕が一番最初覚えているのは、涼宮さんが溺れたところですね」
あいつが溺れた?
「準備運動していなかったせいでしょうか、足が攣ったのかもしれません。細かい話は涼宮さん本人から聞くとして、少なくとも溺れたのは間違いないです。他の方も確認しているはずですし」
見回すと朝比奈さん、実希、つまりハルヒが溺れた現場に居た人全員が頷く。だからあれほど準備運動しておけと言ったのに…。
「それで、急いで助けに行こうと思ったところで、突然プールの中から先ほどの河童が出てきたのです」
河童…ねえ。
と、古泉の近くに影、誰だ!ってああ、新川さん、こんにちは。
「ああ、皆さん、どうもお久しぶりです」
いつもの紳士服で深々と一礼し、古泉に耳打ちする。古泉の表情が残念そうになり、「そうですか…分かりました。お疲れ様です」と新川さんに言うと、もう一度俺達に深々と礼をしてから、新川さんは事務員室の方へ消えていった。
「どうやら河童には逃げられたようです。アメリカ軍並の高性能追尾システムを利用したのですが…」
軍のシステムを超える河童か、恐るべし、だな。
とりあえず、今のところこれ以上分かることはないってことか。
「ええ」
河童というのは、本来いたずらで人を水に引き込むものだと聞いていたが…、あの河童は何故逆にハルヒを助けたんだろうな?
「分かりません。涼宮さんに何かしらの恩があるか、はたまたただの気まぐれか。それとも、涼宮さんが溺れたのは河童のせいで、助けたのも河童という可能性もあります。その辺りは河童本人に聞いてみるしかないですね」
乾ききらない髪を人差し指で弾いて、古泉が言う。その河童が捕まらなかったことには、問いただすこともできない。まあ、大事はなかったから良かったとするか。
「では、医務室へみんなで向かいましょう。ここでは、涼宮さんや朝倉さんが気づかないでしょうし」
古泉の提案を飲み、医務室へ。中では朝倉と、いつの間にか合流していた鶴屋さんが元気に河童談義を咲かせていたようだ。そして、ハルヒの様子を診察していたのが森さんである。お久しぶりです、森さん。
「ええ、お久しぶりです、みなさん」
「そっか、残念だったなぁっ。河童、見てみたかったよ」
「せっかく助けてもらったんだし、キュウリ食べさせてあげた方が良かったかもしれないわね」
「そうね、今度プール来るときはきゅうり持ってこようかしら」
また河童が出てくるとは限らんぞ。というか、出てきてほしくないがな。
「助けてもらったのにお礼も言えなかったんだからね。お礼くらいは言ってもバチ当たらないじゃない」
というかお前、そもそも何で溺れたんだ。
「…足、攣ったのよ」
やっぱり自分で溺れたわけか。だから準備運動をしろと、
「分かってるわよ!……心配かけて、悪かったわよ」
まあ、なんともなくて良かったが。
「ほ、本当にそうですよー」
朝比奈さんが目をうるうるとさせながら言う。
「ごめんね、みくるちゃん。まあ、大丈夫よ。あたしはこんなので死ぬような女じゃないわ!」
親指をびっ、と立てる。
「まあ、今日はいろいろあったし、もうそろそろ帰りましょ」
ああ、そうだな。
「あ、皆様」
森さんが引き止める。何でしょう?
「今日のことは、できるだけ内密にお願いします」
深々と礼。ああ、そうですね。
「あら、いいじゃない。溺れたら河童が助けに来るプールです、って宣伝しちゃえば」
「あまり事を大きくしたくありませんので…できるだけでよいです、お願いします」
ええ、分かりました。
「まあ、森さんがそういうならそうしましょ」
椅子からぴょんと立ち上がる。元気そうだな。
「じゃあ、また来るわね!」
「はい、またいらしてください」
森さんの笑顔に見送られながら、俺達はぞろぞろと医務室を出、それぞれ更衣室で着替えて再集合する。
「にしても、今日はなんだか疲れたわね」
「本当ですね…それに、本物の河童を見るとは思いませんでしたぁ」
先頭を行く涼宮、朝比奈さん、鶴屋さんトリオの後を続く残りのメンバーたち。その集団から少し離れる。
実希、一つ聞きたいことがある。今回も同じ人が犯人なのか?
「……そうです」
じゃあ、あの河童はその人が操っていたとか、そういう話なのか?
「そこまでは分かりません。しかし、その人が関係してたのは間違いありません」
そうか…。
「大丈夫です。見た感じ、悪い河童じゃありませんでしたから」
良い河童も見たことないけどな。
ああ、本当に今日は疲れた。長門との滑り台、河童との遭遇。1日で1年分くらいの疲れを溜めた気がする。
思わず、そろそろ封印したいと思っていた感嘆詞が口をつく。
やれやれ。