その日は、別に朝から夜だったわけでもなく、突然天変地異が起こったわけでもなく、ましてやハルヒの暴走により世界が崩壊した、というわけでもなく。いつも通り平穏な朝を迎えた。
そうだな、いつもと違うとすれば、少し風邪気味である、ということくらいか。少し寒気がする気がするが、まあなに、大したことはないだろう。こうやって風邪の初期症状を放置していると、後々面倒なことになる、ということはよくある話であるが、体温を測定したところできっと微熱程度、休むなんて言ったら叩かれて、家からつまみ出されそうであるから、自主的に登校。勤勉学生の鑑だね。
地獄の参勤交代列の一員として加わり、大名の元、もとい学校へと赴くわけだが、今日はいつも以上に恨めしい。風邪菌は、俺の体内温度37℃ちょっとの中で大活躍をしているようだが、鼻づまりなどの症状は出ていない。今年の風邪は特殊なのかもしれん。
さて、それ以上の変化は何もなく、いつも通りだるい授業を受け、いつも以上に憂鬱な状態でSON組総本部へとやってくる。
本日は一番乗りみたいで、他のメンバーはまだ来ていない。こういうときに限って誰もいないんだよな。風邪だから、という理由でハルヒより先に帰宅を試みようと思っていたのだが、仕方がない。
椅子に腰掛け、長机に鞄を投げ出し、そういやいつの間に畳とこたつは無くなったんだろうな、居眠りを開始しようとする。その直後、急激に鼻がむずむずとし、くしゃみ。
ああ、もう、本当に。こりゃ帰ったら本格的に風邪を引きそうだ。まあ、そのときはそのときだ。
いや、しかしだな。随分机と椅子に段差がないな。まるでフローリングの上に寝転がっている気分になる。早く家に帰って布団で寝たいものだ。
「こんにちはー。……あれ、誰も居ない」
朝比奈さんの天使ボイスが教室に響く。いえ、俺がここに居ますって。
「うーん、じゃあ、今のうちに着替えちゃおっかな」
いえ、ですから、朝比奈さん。
「ふんふーん、ふんふふーん、ふんふ、ふんふふふーん」
鼻歌なんか歌いながら、衣擦れの音がして、ああ、朝比奈さん。ちゃんと気づいてください。いや、今気づかれるとまたそれはそれでまずいか。このまま、何事もなく…、やばい、またくしゃみが!
くしゅん。
「え…?あ、あれ、キョン君…」
あ、
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
うわっ、朝比奈さ、
「見ちゃダメぇぇぇぇ」
朝比奈さんが立ちすくんでしゃがみこむ。
いえ、今すぐ出、くしゅん。立ち上がろうとする直前に、またくしゃみ。
くしゃみをしたときに反射的に目を瞑ってしまったが、ここで目を開けてしまった。開けなければ良かった、ともちょっと思ったが、それは無理な話だ。
そして気づいた、気づいてしまったよ。
「どうしたの、みくるちゃん!」
「キョ、キョン君が……あ、あれ?」
「キョンがどうしたの?まだ会ってないけど」
「え、え?今、本当に今の今さっき、キョン君が…」
「居ないわよ?」
ここに居るんだよ。お前には見えないだろうがな。
世界がでかくなっていた。いや、朝比奈さんやハルヒのサイズは変わっていないようだし、俺が小さくなったという方が正しそうだ。まあ、とにかく、尋常ではないぞ、この状況。
サイズ的には、そうだな、大人の中指くらいだろうか。ハムスターと身長を比べると負けるかもしれんね。
「まあ、いいわ。みくるちゃん、着替えるなら手伝うわよ〜。丁度新しい衣装を持ってきたところだったし!」
手をわきわき、わきわき。怪しい手つきで朝比奈さんに近づくハルヒ。
「い、いえ、自分で……ぇぇぇぇ」
合掌。さすがに覗き見はまずい、目を伏せておこう。
「よし、できたわ!」
「あ、あの……これは…?」
「近くに甘味処できたでしょ。あそこチェーン店らしいんだけど、その制服が手に入ったから持ってきたって訳よ。うん、サイズもぴったり。あたしの目に狂いは無いわ!」
いちいち手に入れてくるハルヒもハルヒだが、制服を売るのも売るのだよな。全くもってけしからん。だが、臙脂色の上に紺色の袴の和服セットを来た朝比奈さんは、いつもと違った可愛さがあり、これはこれでいいな、確かに。
と、朝比奈さんウォッチングはいいとして、この状況をどうにかせねばならん。しかし、正直なところ、これどうなってるんだ?いつ小さく、くしゅん。
「…キョン、いつの間にそんなところに居たのよ。ノックくらいしなさいよね!」
そうか、くしゃみか。
「何、くしゃみがどうかしたわけ?」
「いや、なんでもない。ちょっと風邪気味でくしゃみが出るなと、そう思っただけだ」
「キョン君、風邪気味なんですか。それでは、早く帰って寝ないといけませんね、ってさっきキョン君居ませんでした?」
「いえ、さっき来たばかりですよ」
ごめんなさい、朝比奈さん。ぶっちゃける勇気はありません。
「いいのよ、みくるちゃん。どうせ仮病よ」
そんなわけがないだろうが。っと、危ない危ない。気軽にくしゃみもできん。
「おやおや、皆さん。どうかなさいましたか?」
いつものキザな笑顔を振りまきながら、古泉登場。すぐ後ろに長門姉妹。
「キョンがちょっと風邪気味とか言って、サボろうとするから顧問としてたしなめていたのよ」
サボろうとしていたわけではない。本当に風邪気味なんだ。それと、同時に別の病気も発病したらしい。
「サボり病?ますます帰宅を許可できないわ」
んなわけなかろうが。
「無理は良くない」
「何、有希もキョンの肩を持つわけ?」
「組員に無理をさせず、円滑な組活動を行えるようにするのが組長の仕事。ただし、仮病である可能性もあるので、保健室に連れていって診察してもらう」
俺に一度、視線を送る。目配せのつもりだろうか、ありがとうな。
「そうね、それならいいかもしれないわ。キョンが嘘ついてるか、保健室の先生ならすぐに分かるだろうし」
ああ、本当にな。
長門と二人、部屋を出る。と、くしゅん。
「……小さくなった」
これが別の病気ってやつだ。
「おそらく、風邪と思ってる症状も、風邪とは別のもの。その熱に因って付随する効果が体の伸縮と考えられる。また、その伸縮に際し、トリガーとなるものがあなたのくしゃみである様子」
ああ、そうかい。くしゅん。
本当に大きくなったり、小さくなったり、大変だ。
「しかし、このまま伸縮ばかりしていると、関節同士の消耗により、手足の関節が磨り減り、立つ、持つなどの動作がままならなくなるだけではなく、最悪死の危険もある」
ちょっと待て。そんなに危険な、くしゅん、ものなのか。
「原因が分かるまでは大きいより、小さい方がいい。腕を出して」
小さい状態の俺を掴んで目の高さまで持ちあげる。俺が腕をまくって腕を出すと、それを少し噛んだ。なんか変な気分だ。
「これでしばらく小さいままで居られる。ここに入ってて」
ひょいと俺をつまみあげると、鞄の横についていた小物入れ、手作りのようだが…朝倉辺りに作ってもらったんだろうか、の中に入れられた。
それ以降は鞄に揺られているだけで、外が全く見えなかったが、途中ハルヒの声が聞こえたり、朝比奈さんの声が聞こえたりしたから、きっと組室まで戻って適度にごまかし、俺が帰ったことにしてくれたんだろう。
鞄同士がぶつかり合う音が新しくし始めたし、長門が鞄を持ってくれているのかもな。素直に感謝だ。
…って、ちょっと待て。俺小さいままでこれからどうなるんだ?!いや、なんで大きい状態のままにしておいてくれなかったんだ?!
しばらく、また苦悩の日々が始まりそうだ。