「あ、こんな時間!」
俺で遊びに遊んだため、時間は既に登校までのんびり歩いていける時間ではなくなった。俺をいじった罰だ!
…ちょっと待て。俺はどうすればいいんだ?こんな格好で学校なんかいけないぞ。
「大丈夫。情報操作は得意」
前にもそのセリフ聞いたよな、そういえば。
「転校したことに」
しないでくれ。
「…そう。風邪で休んでいることにする」
ハルヒにもそこらへん上手くごまかしてくれよ。あいつなら家に押しかけかねん。
そうだな、風邪の菌をうつしたら、SON組の超顧問たる涼宮ハルヒ殿が風邪を引いてしまい、SON組を導く方がいらっしゃらなくなるから、心配するなら組室内で心配してくれ、という感じで。
「分かった。伝えておく」
「ああ、そうそう。私たちはそんなに早く帰れないから、いつも通り、涼宮さんのご機嫌で帰る時間が決まるわ。あまりうろうろしすぎて何かあっても、助けてあげられないわよ」
いくらなんでも、そんなことはない。まず、ここから、つまりちゃぶ台から飛び降りるなんてもってのほかだ。
「その体なら、ちゃぶ台から飛び降りても問題ないですよ。思ってるより、頑丈ですから」
実希が眼鏡を拭いて、掛けなおす。
というかだな、ここに男が居るのに平気で着替え始めるお前たちはなんなんだ。思わず見えないようにこっちが部屋に入ってしまったではないか。
「そういえば、有機生命体ってそんなのに興奮するんだったわね、忘れてたわ」
ハルヒが突然着替え始めたときは即追い出したと思ったが。
「前、どっかでそういう話を一度聞いてたから、あの状況では男子を追い出す、って知識はあったんだけど。何故かとかはよく分かってなかったのよ。ふぅん、そういうことだったんだ」
「私にはよく分からない」
まあ、長門もその内分かるかもしれん。というより、時間時間!
「あ、いけない。急がなきゃ!じゃあね!」
「行ってくる」
「いい子にしてないと、おやつ抜きですよ」
おやつの時間には帰ってこないだろう。
バタンと扉が閉まったときに思い出した。しまった、昼飯!
………。
ま、いっか。腹が減ったら考えよう。今は寝ておくか。
仮設ベッドにもぐりこみ、目を閉じる。住めば都、とはよく言ったもので、結構ここも居心地がよくなってきている俺が居た。もうしばらくこんな状態でもいいかな、とか。
…にしても、眠れない。
ごろごろと横になって少しはうとうとと、夢と現実を反復横飛びしていた。時間にして、大体3人が出かけてから1時間ちょっとくらいだろう。テレビなら朝のニュースから段々連続ドラマなどにシフトし始める時間、と言ったところか。
ティッシュの布団から起き上がり、外に出てみる。うむ、相変わらず質素だ。
ちゃぶ台の端まで歩き、下を覗き見る。下は見事なまでにフローリングである。これは、さすがに飛び降りたら痛いよな。
かといってやることがない。もう布団の中で目を瞑っても眠れそうにはないし、遊び道具なんかこの俺用仮設住宅には存在しない。これだったら、長門に本の一冊でも借りておくべきだったな。ページをめくる作業が大変そうだが、少しは暇つぶしになるだろう。
しかし、無いものを嘆いてもしょうがない。無いなら無いでなにかを考える。
例えば、一人しりとりだ。よし、行くぞ。
しりとり、りす、すみれ、レイモンド、ドリル、ルーマニア、アンバー…これはバから始めるべきなのか、バーから始めるべきなのか。というか、レイモンドって誰だ。
いや、それ以前に滅茶苦茶寂しすぎだぞ、これ。やめた方がよさそうだ。
広い割に、行動可能範囲が狭いこの部屋で、ただ時間を潰す、というのはなかなか辛いものがある。動き回れればどこにでも行くわけだが、残念ながらこの体じゃ、このちゃぶ台から飛び降りるなんて。
……そういえば、実希が言ってたな、ちゃぶ台から飛び降りても大丈夫だと。
大丈夫だよな、実希が言ってたくらいだしな。フローリングに飛び降りて即死も…ないと考えよう。ネガティブシンキングは良くないぞ。よし、実行だ。
なんだか、ハルヒ的思考になってきている気がするが、うむ、そんなことはないぞ。ないと思う。ないはずだ。ないかもしれない。
深く考えてはいかん、と思いながらも念のため、一番腕が伸びるところまでぶら下がってから手を離す。
どしん、と鈍い大きな音と共にフローリングに着地。かなりの衝撃で、何が問題ないだ、足がものすごくじんじんとするじゃないか!
壊れた携帯のバイブレーションのように、延々と震えているような痺れが収まるまで、カップラーメンが伸び、冷え始めるくらいの時間を要した。ふぅ…やっと収まった。
さて、着地したはいいとして、どうするかね。まだ腹が減るまでには時間がある。ちょいと探検でもするか。
玄関まで、いつもの体では10歩くらいで着く距離を必死に走って数分かかるのは本当にどうにかならないものか。登校時のあの強制早朝ハイキング以上だ。
それに、よく考えてみれば、だ。玄関におもしろいものなどあるわけがなく。すごすごと今来た道をゆっくり歩いて引き返すと、10分ほど経過し、だんだん小腹がすいてくる。パンでもないものかね。
台所までまた10分少々。今度は腹より、足の疲れが出始める。こりゃ、明日は筋肉痛だな。
やっとのことで台所に到着。パンをシンク傍に確認した。
ここで、はたと気づく。あそこまでどうやって上ればいいんだ?直通の梯子はないし、長門が上の棚のものを取るときに使う台は、俺の重要な栄養源までよじ登るにはあまりにも低すぎる。猿蟹合戦で柿の木を見上げる蟹の気分だな。
思案しつつ、台所を行ったり来たり。と、シンク横に大型の機械を発見する。なんじゃこりゃ。
ああ、そういえば朝倉が「食器洗い機を長門さんのところに買ったのよ」とかなんとか言ってた気がするな。もしかしてそれか?
洗う手間を省いて他の時間に当てたい、とか、文明の利器をただ使いたかった、とか理由はよく分からんが、大体長門の家で3人仲良く食事をしているようだし、まとめ洗いできる食器洗い機は便利なのかもしれんな。
ここで注目したのはこの食器洗い機のコード。上手い具合に床まで届いている。これならよじ登れそうだ。
食器洗い機が転倒しないか、という心配はあったが、まあこの体の大きさだ、体重なんか大したことは無いだろう、登れるさ、と自分に言い聞かせながら、実にギャンブル人生を歩んでいると自分でも思うが、命綱なしの絶壁ロープ登りを開始。
ひいひい言いながら、もう明日は全身筋肉痛間違いないぞ、なんとかパンのところまでたどり着く。袋を閉じているプラスチックをどうにかこうにかはずし、パンにかじりつく。
ふー…一仕事した後は格別だな。
しかし、次の問題が。喉が渇いた。
水道の蛇口からぽたり、ぽたりと水滴が落ちているのを見つけ、これを飲んで凌ぐか、と思い立ったはいいが、その後のことを考えずに行動したことを死ぬほど後悔することになる。本当に、小さい体は不便だよ、全く。
シンクになんとか降り立った俺は、蛇口へ近づく。いい感じに水滴が落ちてきて、よし、ここだ!
びしゃっ、と直撃をもらった。
そうだよな、体小さいもんな。口で受けようとかすれば、直撃もするさ。
喉の渇きは癒せたが、同時に服まで潤いに潤ってしまった。仕方がない、少し恥ずかしくても、さっきまで着せ替えられてた服に着替えるか。このままじゃ風邪引くしな。
…で、退却経路はどこだ?
シンク内には朝倉が急いでいても、朝の間に全部片付けたんだろう。皿の枚数も少ないし、朝は手で全部洗っているようだったが、食器や調理器具、箸に至るまで何一つ残っていない。つまりだ、天井は空いているが、事実上密室。
た、助けてくれ!
叫んだところで誰も居るわけがない。その上、悪いことにだな、体が冷えてきたせいで眠気が襲ってくる。だめだ、だめなんだ。寝たら死ぬ、寝たら死ぬぞ…。
なるべく周りが乾燥した場所で丸くなっているが、冷え冷えとしたシンクの上では、雪山で遭難した時と違ってかまくらを作ることさえできない。つまり、寒さを凌ぐ方法が全くといっていいほどないわけだ。これは、マジで死ぬ。
これが夏だったらまだ良かったかもしれない。しかし、今は冬だ。こんな状態では体温ばかり奪われていく。
もう…眠い……。さっきまで、全く眠気なんか来なかったくせに…なんでこういうとき…だけ………。
「…ん……」
体が温かい。風呂に入っている気分だ。
「んんー…」
「起きた」
誰だ…?なんだか長い間眠っていた気がするが。
「学校が終わってから急いで帰ってきた。また部活のために帰らなくてはいけない」
そうか、がんばれよ。
………誰だ?寝ぼけ眼を擦って、語りかけてくる人物をよく見る。
ショートの髪、ああ、長門だったのか。
「帰ってきたら、部屋に居なかった。探し回ったら、シンクの端で小さくなっていた」
そうか、長門、心配して探してくれたのか。ありがとうな。
「礼はいらない。昼食時にあなた用に食事を用意し忘れていたことに気づいた。私の落ち度、私の責任」
いいさ、ちゃんと生きてたんだから。大丈夫、そんなに自分を責めるな。お前が悪いんじゃない、俺が勝手にやったことだ。
「あなたにもしものことがあったら、私はどうしたらいいか分からない」
そんなときは来ないから安心しろ。
「しかし」
大丈夫だ。
「………そう」
少し安堵した色の声。
全く、俺もどうかしてる。何の根拠もないのに大丈夫だ、だからな。それでも、そう言わないといけない気がした。
「これからは、もう無茶してはいけない」
「ああ、約束する。…なぁ、長門。もうちょっとだけ、この風呂入ってていいか?」
「どうぞ。私がちゃんと見てるから」
助かる。体の芯から温まるからな。
茶碗に湯を注がれただけの風呂だったが、今はどんな風呂より体中を暖めてくれる名湯に違いなかった。