いや、正確には「出ようとした」が正しい。結局出られなかったからな。なぜなら長門にぐいっと袖を引かれたからだ。こいつ、顔に似合わず引きが強い。いや、今までの長門を知っている人間からしてこれくらいは予想の範囲内ではあるんだが、一応女の子という生物上分類されてもおかしくない容貌をしているから、この万力でも敵わないような怪力さがどうしても一瞬不釣合いに思ってしまうのは男の悲しい性なんだろうか。
 それにしてもこいつ、今の今まで行儀良くこたつの前で正座していたはずなのに、この数秒間で俺の真後ろまで来ていたのかよ。せめて物音くらい立ててくれ。わざとでいいから。これでもし腕を掴まれていたら間違いなく叫び声を上げていた自信があるね。
「やることがある」
「なんだって?」
「まさか原因が分かったのか?」
 しかし長門にしては珍しく自信なさげに力なく首を振った。
「空間情報の乱れが観測された。これは最初の人間が消えたときから始まった。でもほとんど自然現象による状況変化と同等の誤差範囲だった」
 突然何を言い出したんだ。俺の質問とは遥か遠方のアイルランド海上辺りを漂う流氷って感じだぞ。
「今回初めて気づいた」
 長門は先に教室を出て、部屋の鍵を取り出した。ここを閉めるってことは今から行く場所は決まってるわけか。なら少なくとも止める理由はないな。俺もついていこう。どこまで役に立つかは分からんが。
 鍵が掛かったのを確かめて、俺をいつもの過冷却されたエタノールみたいな目で俺を見てから、
「こっち」
 俺について来い、というんだろうな。最初からついていくつもりだったし、構わんさ。
 歩き始めてすぐ、さっきの話の続きが始まろうとしたが、その前に1つだけはっきりさせておかなきゃいけない。
「原因究明が完了したのか、それだけは教えておいてくれ」
「確定情報ではない。まだ予測の域を超えない」
 ってことはある可能性を発見したってのは間違いないんだな。分かった、続けてくれ。
「最初に行方不明者が出たときに起こった、環境情報のゆらぎが伝播して今回の大量行方不明に繋がったと考えられる」
「じゃああの居なくなった女子が全ての元凶ってことか?」
 そんな悪そうな人間には見えなかったが、人は見かけによらないんだな。
「違う。そうじゃない。彼女が全てを行ったわけではない。ただのトリガー」
「トリガー?」
 長門の口から何度か聞いたことがある気がする言葉だな。言葉の通りで何かが起こるためのきっかけみたいな意味だった気がするが。
「そう。この校舎一帯はそもそも絶対的であるはずの位置情報が不安定で、他の情報空間との融和している部分が存在している」
 そういえば大分前にもあったっけ。実希の眼鏡がどうのってときだ。ドア開けただけなのに別の場所へ繋がってたりしたんだよな。
「おそらく行方不明になった人間は存在が抹殺されたのではなく、この融和状態の別空間へ移動しただけの可能性が高い。ただし存在が消えたことや記憶・記録情報が薄れた理由まではこれで説明できない」
 まあもし分かっていて説明されたとして、多分原稿用紙にして3行目までくらいしかまともに聞いていないだろうから、言わなくてもいいぞ。それよりも早急に解決が必要なことがある。
「今からどうすりゃいい?」
「最初に消えた有機生命体の所在とその原因が分かればいい」
「分かった」
 確かクラスのデータはパソコンに入ってたよな。
「覚えている」
「それじゃ行くか」
「待って」
 早速と4組へ向かおうとした俺は再び長門に止められた。
「おそらく教室には既にその原因が残っていない」
「残ってないなら、じゃあ何処に行けばいいんだ?」
「彼女の机を探す」
 机か。あの生徒が居なくなった今、教室からどこか別の場所に移動されたという話だ。正確な場所は分からないんだよな。
「おそらくそれが唯一の鍵。探さなければならない」
「……了解」
 いつもならハルヒの独断で、朝倉のつてでどうにかやってきた。だが今回はそれに頼ることは不可能だ。
 さらに今ここに残っているのは俺と長門だけ。長門は成績と素行はまあ俺より良さそうだが、教師というか人間関係全般に難ありだし、俺だって基本的に外交に向く性格はしていない。つーか俺なんか未だにハルヒの付属品的感覚があるらしく、教師からも生徒からもあまりいい感情を持たれていない気がする。
 どちらも適任とは言えないこの状況で、じゃあここでやるのはどっちかといえば言うまでもなかろう。
「俺が聞いてみる」
 岡部辺りに聞いてみるしかないか。多分職員室に居るだろう。いくらなんでも、自分のクラスの生徒なら無碍にはしない……よな。
 そう考えて長門と並び、廊下を早歩きに近い歩行速度で職員室に向かっていると、向こうから1人で何やら重そうな机を抱えた生徒が、初めてお使いに行った子供が重い買い物袋を持っているように、ふらふらやってくるのが見えた。まさか。
「それ、どこに運ぶんだ?」
 運んでいる生徒は知らない人間だったが、俺は思わず両肩を掴む勢いで近づいた。
「な、なんだ君は」
「急いでるんだ。教えてくれ」
 こっちの勢いに気圧されたか、即目的地を教えてくれた。
「サンキュ。これ、そこまで持っていっておくから後はまかせてくれ。長門、行くぞ」
 隣に居たアンドロイドの同意を聞きながら俺はその目的地へ机を抱えたまま、小走りで向かっていた。