それは子供だった。一瞬びびったが、「あっ」と子供がこちらに気づき、急いで走って逃げようとする。そうはさせん。
この辺りは撤去作業をしていなかったのかまだ机などが残っていて、そこを隠れるように逃げようとしているところを、妹を捕まえるときと同様に服をひっつかんで吊り上げる。よく見ると、妹と同年齢くらいの少女で、こんなところで赤いランドセルを背負っていた。
「は、はなして!」
この現場だけを見ると、危ない誘拐犯に見えるかもしれんな、などと思いつつ問いかける。
「ガキがこんなところで何してるんだ」
「アンタにはかんけいないもん!」
「あ、あの、キョン君。もうちょっと優しく……」
しかしですね、このままだと逃げ出しますし、事情を聞かなきゃいけないでしょう。
「話すことなんか無いもん!」
「お前はなくても俺は聞かなきゃいけないことがあるんだ」
「キョン!なんか発見したの?」
ドドドドと階段を駆け下りる音。他のメンバーも続々とやってきて、SON組の輪ができていた。確保された少女は、重要な会議があるのに、台風で公共交通機関が止まり、立ち往生しているサラリーマンのように苛立ちを隠さない。
「何、じゃあこの子が犯人だったわけ?」
「分からん」
「…………」
ぷいっ、とそっぽを向こうとして、どの方向にも顔があることを思い出し、俯く少女。
「こんな時間に何してたの?お姉ちゃんに教えてくれない?」
「アンタなんかに教えないもん」
優しく聞いたハルヒを、少女はギロリと睨んで叫ぶ。
「…キョン、なんか腹立つんだけど」
仕方あるまいさ、捕まえた直後からずっとこんな調子だからな。さすがに今回はお前に非はない、と思う。
「ね、お姉ちゃんたち、ここに幽霊が出るって話を聞いてたんだけど、知らないかな?」
今度は朝比奈さんが少女の目線の高さまで腰を下ろして話しかける。
「ここにユーレイなんか出ないもん。私は毎日ここでパパをまってたけど、ユーレイなんかに会ったこと無いもん」
「パパを待ってる?なんじゃそりゃ」
普通待つなら家だろうよ。ここでパパを、それも毎日待ってるとはどういうことだ。
「パパは学校の先生やってて、さっきちょっとほかの学校におしごとに行っただけだもん。すぐにかえって来るんだもん」
「いや、何にしてもこんな時間にはこっちに帰ってこないだろう。さっさと家帰って待っててやった方がよっぽどいいぞ」
「やだ!だってパパ、今日はいっしょにかえってくれるってやくそくしたんだもん!」
一度学校へ戻って何か報告があるなら確かにまだ残っているかもしれないが、既に辺りは夜の帳が降りきって、底冷えするほどで、宿直の教師くらいしか残っていそうにない。その宿直もそろそろ帰るんじゃないか?
「かえってない!だって、いっしょにかえって、今日学校であったことお話しするってやくそくしたもん!」
「こんな時間よ、もう直接家に帰った可能性の方が高いわ。とりあえず、家に帰って、」
「ぜったいまつんだもん!」
何故だろうな、少しだけ予感がした。
「なあ、本当は一度、家に帰ったんだろう」
黙り込む。そうだよな、毎日待つなんておかしすぎる。
おそらくだが、帰っても家に居なかった。それも、いつまで経っても父親が帰ってこない。いや、本当はその前に母親から聞いていたのかもしれん。何かがあって、帰れない事情ができたとかな。それも、ずっと。
とにかく、居ても立っても居られずに、父親が帰ってくることを信じて、毎日この学校に来ていたんだろう。そんな想像が容易についてしまう。
「……だったら、家に帰ってお母さんと一緒に居てあげないと、お母さん、悲しんじゃうよ?」
朝比奈さんが優しく諭す。
「やだもん…、ぜったい、ぜったいかえってくるもん。かえってくるんだもん!まってるんだもん!」
子供の頃は絶対に譲れないものがある。そんなものを歳を重ねるごとに忘れてしまっていて、今、それをまざまざと見せ付けられている。
ただの頑固にも見えるだろうそれは、大人になっていく上で薄れていって、しかし忘れてはいけなかったことじゃなかったんだろうか。
いつか、本人が父親がもう帰ってこない、それを理解して、そして乗り越えるまで。
「だから…!」
「分かった分かった」
ぽんぽん。
「キョン、どうするのよ?」
「気が済むまで待ってろ。しかし、一人でこの時間はまずいだろうからな、俺も残ってやるさ」
「何言ってるのよ」
「結局幽霊なんざ見つからなかったんだろう。だったら、目的をちょいと変えてやるだけでいいだろ」
どうせハルヒが幽霊探しなんか始めたら、朝くらいまでかかりそうだしな。変わらないだろ、ここにいる時間はな。
「そうですね、この子をここに置いておくというのも気が引けます」
「そうさね、この子置いて幽霊探しはダメさっ。一緒に探しに行くならいいけどね」
「何か遊び道具、持ってくればよかったですね」
「あ、私トランプなら持ってます」
「実希、なんでそんなもの持ってるのよ」
「ちょっと占いでもやってみようかと」
TFEIなら未来の自分に同期すればすぐに分かることだろうに、と思いかけたが、そういやこいつはそういう機能が無いんだったな。といっても、長門に聞けばいい話だろうから、どっちにしてもただの娯楽だよな。
と、その長門が近づいてくる。どうした?
「あの少女の父親のこと」
ああ、もう居ないんだろう。
「そう。だからもう帰った方がいい」
いや、いいんだよ。
「?」
「気が済むまでさせればいいさ。自分で気づかなきゃいけないんだ。もうこれ以上は無駄なんだって」
「キョン!ぼーっとしてないで早くしなさい」
ハルヒの声に呼ばれてそちらを見ると、古い机をくっつけて作られた大机を取り囲むようにメンバーが集まり、ババ抜きに興じていた。
「……そう」
長門はそう小さくつぶやき、一足先に輪に加わる。さっきの少女は、今泣いたカラスがもう笑った、という感じで、輪に溶け込んで楽しそうだ。それでいいんだよ、その内分かるさ。
さてと、今はそれよりも、ジョーカーを引かないように気をつけねば。