「おかしい」
翌日になっても、相変わらず払拭できない違和感が海馬の奥底で、神社に置いてあるようなのではなく、キーホルダーレベルの大きさの鈴が鳴るように何かを訴えかけていた。なんだろう、これは。日を跨げばさすがに消えると思ったんだが、考えが甘かったか。
それもどうやら他の人間は気づいていないようなのだ。長門にした質問を他にもしてみたが、俺の疑問を解決するような答えどころか、俺自身のその妙な無意識下に眠る謎の感覚が幻ではないかと思うような答えばかり。確かに俺もそう思うが、それにしてはうっとうしいくらいに自己主張はしてくるんだよな。
「大丈夫?」
初めて風邪を引いたときの母親の表情で朝比奈さんが俺の顔を覗き込む。俺は首を振ってそのご好意を辞退させてもらった。
「ええ、大丈夫です。特別体調が悪いというわけではないので」
「それならいいんだけど。どうしても調子が悪いようなら保健室もあるから言ってね」
「ありがとうございます」
いかんいかん。こんな調子だとあまりに気を使わせてしまう。特に朝比奈さんはこういうときには人一倍気を使ってくれるからな。よし、こうなったら気にしないようにしよう。
去り際に俺の湯飲みを覗いた朝比奈さんは、
「あ、キョンくん。お茶、おかわり要る?」
「お願いします」
湯飲みを差し出すと笑顔で受け取って、朝比奈さんは少し鼻歌を歌いながらポットへ近づいて、茶筒を開いたところで「はずれなし」の福引ではずれくじを引いたような声を挙げた。
「ありゃりゃ、お茶の葉なくなっちゃった」
「それなら無くてもいいですよ」
「いえいえ、買い置きがあるので大丈夫です。えっと、ここに……」
慌てて手をひらひらと振ってから、背伸びをして棚の1番上の段に手を伸ばす。……が、どう見ても届いていない。むしろその下の段の一番奥さえ届くかどうか怪しいところである。
「あれ? あれれ?」
「どうしたの、みくるちゃん?」
「え、あの……奥にあるお茶の葉っぱの袋に手が届かなくて」
「なんでそんな高いところに置いてたのよ」
「えっと、いつもは届いてたんですけど、なんか今日はちょっと届かなくって」
すまなさそうな表情の朝比奈さんに、ハルヒはしょうがないなという表情を作って朝比奈さんと同様に手を伸ばす。が、こちらもどうにかこうにか最上段の棚に触れるくらいでやはり奥までは届かない。
しばらくそうしてからハルヒは背伸びをやめた。そして憮然とした態度でこう言うのだ。
「キョン、取りなさい」
「……へいへい」
取れないなら最初からやらなけりゃよかったのに。
俺はハルヒの脇に立ち、その棚の奥を覗く。確かに人間の手のひら大の袋が無造作に転がっていた。こいつのことかな。
取り出して太陽光に袋の表を照らしてみると、大きく『玄米茶』と書いてある。どうやら間違いないようだ。これで中身がお茶じゃなかったら笑いものなんだが。
「ありがとうございます、キョンくん」
「いえいえ。ちょっと身長が高いだけですし」
「そうよ。それにキョンはただの雑用係なんだから」
むくれた顔でハルヒは自分の席に戻り、その上で胡坐をかいて、
「みくるちゃん。お茶の葉があったんなら、さっさとお茶淹れて頂戴」
「あ、はい!」
朝比奈さんに当たらなくてもいいだろうが。全く、大人げないというかなんというか。
つーか今のどの辺りに朝比奈さんへ当たる原因があったのかがさっぱり分からん。存分に俺に当たっておいてまだ鬱憤が残るのか。こいつはどこまで自己中なんだよ。
ハルヒの後に俺の湯飲みにもお茶を淹れ、やんわりと開いたぼたんの花みたいな笑顔で朝比奈さんは湯飲みをしずしずと差し出してくれる。俺は再び感謝の意を告げて受け取り、それをゆっくりと口元で傾ける。
そんなささやかな幸せをかみ締めている時間にまた、ハルヒのイライラ声が響いた。俺にそこまで幸せになって欲しくないか、と思わず尋ねそうになるくらいだ。
「なんでこんなに打ち間違えるのよ! ああもう、腹立つ!」
「……どうしたんだよ」
誰もがそのハルヒの状況に圧倒されて動けないで居るため、必然的に代表で俺が聞くことになる。そろそろこういう立場を誰かとバトンタッチしても良い頃合だと思うんだが、未だその立場を入れ替えてくれる人間は見つかっていない。
「このパソコンよ、パソコン! いつもはこんなに打ち間違えないのに! 誰かキーボード入れ替えたのかしら。入れ替えた人間が見つかったらそいつは学校の屋上から体育館の倉庫に置いてある年代モノのマットで簀巻きにして吊り下げる刑に処するわ」
んなアホな。キーボードを丸ごと持っていくのならまだしも、入れ替えるメリットなんぞ無いだろ。さっきからむやみやたらに神経をハリネズミの威嚇みたいにとがらせてるのが問題じゃないのかね。
ハルヒの声によるフリーズが解けた朝比奈さんは順に長門、古泉、朝倉、実希、そして鶴屋さんにもお茶を淹れていき、その仕事を終えると自分の分のお茶を持って、我が部の見習いシスターは自分の席についた。なんというか隣にメイドとかシスターが座っているというのは非常に言い表しがたい気分だな。たまにナースとか。そうそう体験できるもんじゃないし、その着ている人材が誰が見ても女子の絶対評価ランキングで上位に来るようなお人というのがまた、たまらない。谷口だったら卒倒してるレベルだろうな。
「だーっ、もう! あったまきた。解散!」
どうやら俺がいらんことを考えている間にもハルヒは怒りボルテージを上げ、とうとう振り切らせたらしく、ぶつくさ文句を言いながら部屋を出て行ってしまった。こりゃ後で古泉が苦労するパターンか?
「ええ、その通りで。既に電話が同志から掛かってきています」
まあ適当にがんばってくれ。今回ばかりは俺は何もしていないし、あいつの行動は理解の範疇を超えているからな。
「もちろんあなたを責めるつもりはありませんが……もう少し涼宮さんの考え方をトレースすることをお勧めしますよ」
「なんだそりゃ」
「言葉の意味通りです。それでは僕はこれで」
一足先に古泉は教室を出て行った。
あいつの言ってることは相変わらずよく分からんが、どうでもいいことだ。俺も帰るか。