「不思議なことがある」
「何よ」
「7月中は自由でいいんじゃなかったのか?」
「自由に休暇を取っていい、ってだけで基本的に活動はやってるわよ。ちなみに休暇もあたしに理由を言って、最長連続3日まで」
どこが自由なんだよ。自由のかけらも無いじゃねえか。
「十分でしょ、それくらいあれば」
「3日ずつ数回に分けて取るのも駄目なのか?」
「理由によるわね。忌引きとか、いとこの結婚式とか、やむない理由があれば特例も考えるけど」
やれやれと俺は首を振って、向かいで飛車を動かしている長門の方へ向き直る。今日は珍しいことに長門は本を開かず、俺の将棋の相手をしている。さすがに本ばかり読んでいるのも飽きたのか、たまたま古泉がバイトだとかいうことで今日は来なかった為、置きっぱなしになっていた詰め将棋を俺が1人でやっていたからか。
とにかくこのクソ暑い中、大して得意というわけではない将棋を続けている。ああ、外から聞こえる蝉の声がうっとうしい。まだ数が少ないからいいものの、夏本番になったらもうまともな思考をしていられないくらいの暑さと蝉の声でこんなに悠長な遊びをしていられないかもしれない。そういう意味では今のうちにやっておくべき遊びなのかもな。
「そこは歩を置いた方がいい」
「そうなのか」
ちなみにこいつとやっているから黙々とやっているだろうと思うだろうが、ご覧の通り、無言ではない。かといってベラベラと喋りながらってわけでもないんだが。というのも単なる勝負ではなく、長門先生の将棋講座って感じだからだ。アドバイスを受けながら、俺自身が動かしている。対局中の相手にヒントを貰うというのは将棋というゲームからしてどうなのかと思うが、なんといってもこの違反的スペックの長門に凡人の俺が将棋を挑もうということ自体、無茶だというものだ。
ただし教えてくれるといっても最初からではない。自分で考えて手を打ってみて長門の見解を聞き、再び駒を戻して進める。さらに長門自身も手加減してくれているわけではなく、始めてから既に30分ほど経っているが10分ほど前から膠着状態が続いている。次の手は……と。どうしようかな。
「お茶が入りましたよ」
「ああ、ありがとうございます」
このところずっと冷えた麦茶を入れてくれる朝比奈さんに礼を言って喉を潤す。うん、冷たくて美味い。熱い緑茶もいいが、やっぱり暑いときには冷たい飲み物がいいな。
向かいの長門にもガラスコップを置いて自分の席に戻る朝比奈さんに、三色団子をもぐもぐやっていた鶴屋さんが手を挙げて呼ぶ。
「みくる。これ食べる?」
「あ、ありがとう」
和菓子が山になっている皿を鶴屋さんから受け取って、饅頭を2つだけ受け取って机に置くと、それを様子見ていたハルヒが、
「みくるちゃん、あたしにもそれ頂戴」
「はぁい。えっと、お饅頭ですか?」
「んじゃなくてお皿ごと」
「分かりました」
定位置でマウスをがしがし動かしているハルヒに皿を渡すと、それを受け取ってその場に置いた。自分で全部食うつもりかよ。
それにしてもさっきから将棋の勝負に白黒つきそうにない。このままだとかなり時間が掛かりそうなんだが……実はさっきからトイレに行きたくなっている。だがさっきから真面目に教えてくれている長門の手前、どうにも切り出せずにいる。
話の振り方に迷っていると、絶妙なタイミングで立ち上がる人物が居た。
「さてと、今日は解散ね」
時計を見るとまだ午後4時だった。早くないか?
不思議そうに尋ねる俺にハルヒは髪をかきあげた。
「今日暑いし、欲しい本があるから本屋に寄っていくの」
暑いからってのは、本屋なら冷房が入っているからってことだろう。いい考えかもしれんな。こう連日暑い日が続くと涼しいところに避難したくなる。
パソコンの電源を落として「適当に切り上げちゃっていいから」とだけ言い残し、教室を出て行った。残された俺たちは呆然と出て行った扉を見ていたが、いつものことと割り切って立ち上がった。帰っていいのなら俺はここに留まる必要もないし、ハルヒが帰っちまった以上、他の奴らがここに残る理由も同様に無い。せいぜい遊び相手が増えるってことくらいだな。
ま、とにかくキリをつけるのにいいタイミングだ。こんな状態じゃ将棋も遅々として進まないだろうし、1度リセットするのがいいに違いない。
「んじゃ長門。こいつは終わって……」
「また明日」
「ん? ああ、そうだな。また明日やるか」
将棋盤の上の駒を片付けようとしたところで、長門はその手を遮った。
「これはこのままで。明日続きを」
「いや、もう帰るから1度崩してまた明日新しいのをやればいいだろ?」
だが長門は頑なに首を振った。
「ひと通り終わるまでやって流れを掴むべき。これは将棋に限らない。一連の流れを掴むということは非常に重要なこと」
「そこには同意見ではあるが……」
返す言葉を捜そうとしたがやめた。言ってることが事実である以上、嫌だと突っぱねることもなかろう。
「いいか、そうしよう」
それよりも早く解放させてくれ。