「何言ってるんだ、長門。お前は長門有希だろ?」
 あのどこまでもクールな瞳。ショートの髪。温度の低い声色。全部が全部、あの情報統合思念体に作られたという、いつでもハルヒの暴走のストッパーである有機インターフェース、長門有希。間違い無い。
 唯一違うとすれば、初めて大型犬に触れるみたいな怯えた表情と、ほとんど抑揚を持たなかった声が戸惑いを含んだ声で喋っているということくらいだ。そういう意味では確かに変ではあったが、それ以上ではなかった。
「誰…なんですか?」
 怯えた表情を崩さないまま、ドアの外から教室内を覗きこみながら言う。
「確かに私は長門有希と言います。でも、あなたとは会ったことがないはずです。何故私の名前を知っているのですか?」
 何言っているんだ、長門。お前はいつも俺や朝比奈さん、古泉や新しく入った鶴屋さん、朝倉とハルヒに振り回されていただろう。それに、妹だってできたじゃないか。
「妹?私に妹は居ませんよ。勘違い…というにはあまりに偶然が重なりすぎですが、人違いだと思います」
 そんな馬鹿な。間違いなく…。
 いや、待てよ。ここは鶴屋さんの世界だったはずだ。もしかすると、その世界の長門有希なのかもしれない。鶴屋さんの知識の中では長門は存在しているし、その存在がこういう形で現れているとか。ありえない話ではない。
「おい、有希。どうした?」
 ………。
 入ってきた男を見て、俺は完全に思考停止に陥った。
 いや、なんだ、こう、絶句するというときがあるんだな。世界が凍りついた、という表現が似合う時が存在するとは思わなかった。ハルヒの自己紹介、もちろんあの時だって驚いたさ。
 しかしだね、これはまた別問題、全く異種の驚愕なんだよ。
「キョン先生、この人達が…」
 名前までもそっくり。いや、そっくりなんじゃなく、この世界の俺なんだろうな。
「なんだお前は。……いや、ちょっと待て、なんだこれは。お前は誰なんだ」
 さてどうするか。嘘を吐くという手もある。しかし、ここで嘘を吐いたところで何の意味も無い。本当の事を言うか。
 もちろん、信じてもらえるかはさておき、だが。
「キョンだ」
「……どういうことかさっぱり分からんな」
「まあ、俺も同じだ」
 教室のドアを開けて入ってきたその男は、俺が成長したらこうなるだろうと、いやこうなるに相違ないだろう姿だった。そして、こっちの俺は教師をしているらしい。長門はその生徒ということみたいだな。
「俺に姿かたちがそっくりで、俺と同じあだ名。なんなんだ」
「私の名前も知っていましたよ」
 1つ分ほど高い、こっちの世界の俺を見上げるこっちの長門。元の世界の俺達よりも随分と仲が良い様子で、まあなんだか不思議な気分だな。
 と、すぐ新しい訪問者がやってくる。それは待ちわびた人であった。
「………」
「今度は私とそっくり…」
「私の異空間同位体」
 この抑揚の無い声。
「俺の知ってる方の長門か」
「そう」
 やれやれ。これはまた面倒な事になった。

「ふむ、つまりそっちの世界とこっちの世界がその空間なんとかで繋がった、ということか」
「そう」
「…嘘くせぇ」
「そう思うのは至極最もだ」
 俺だって最初はそう思ってたんだからな。
「だが本当だ。マジなんだ。その内信じる、信じない以前の問題が起こるだろうし、そのときに嫌でも実感するしかない」
 そういうのは実体験がいい、というのは長門や朝倉の言葉であり、俺の実体験からの言葉でもある。分からなければやってみろ。ああ、今まで嫌と言うほどやってきたさ。
「こちらの空間と私たちの空間の接触位相を知りたい」
「接触…その、なんとかっていうのはどういうものなんですか?」
「空間同士の融合点、接触点のこと。その点が正確に分かれば、空間同士の分離もできるかもしれない」
「空間の分離……ってどうやるんですか?」
「言語では説明できない、理解できない」
「そ、そうですか」
 こっちの長門とあっちの長門の会話。黙って二人が並んで立っていれば、全く違いに気づかないかもしれないが、淡々と難しい単語を並べているのと、それに疑問符を投げるばかりのであるから、喋っていればすぐに違いが分かる。
「っと、その前にだ。そのコートは俺のだから返してくれ」
「あ、そうです。それは私が…」
 と言って俯くこっちの世界の長門。
 ああ、すまない。こっち来たばかりでは寒すぎて、ちょっと借りていたんだ。すまんな。
 俺の座っていた近くの椅子に掛けていたコートをこっちの世界の俺に手渡す。
「まあ俺のものだからな、俺が使うならまあいいとしよう」
「ここまでたどり着くまで、この寒さを凌ぐのに随分助かった」
「そうか、それならいいんだ」
 結構こっちの俺は気のいいやつらしい。一安心だ。