向こうもこちらに気づいたらしい、あたふたとしながら元来た道をリターン、猛ダッシュを開始した。
いや、正確には”猛ダッシュしたいんだろう”という気概をあふれさせているだけで、ものすごく遅い。走るのにハイヒールなんか履いてるもんだから、途中で何度もこけそうになっていて、数十メートル走ったところで長門が腕を掴んだ。
いくら相手が走るの遅かったとはいえ、100m近く離れていた女性をものの数秒で追いついた長門。俺とほぼ同時に走り出したはずなのに、なんつー早さだ。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
猛然と追い上げる長門に、逃げる気の方が先に逃げおおせたのか、腕を掴まれた直後にその場に座りこんでしまったその女は、よく見れば女子大生ではなかった。てか、うちの英語教師じゃないか。確かに女子大出たてと言ってたっけ。なんでこの人がやったんだ?
いや、まず本当にやったかも分からないんだよな。別の何かをやろうとしたか、はたまたいつでもこれくらい挙動不審なのか分からない。勝手な思い込みはハルヒだけで十分だ。
「えー、先生。この辺りで何をしてたんですか」
穏便に、穏便に。
「ごめんなさい!」
突然土下座を始めた。何が起こった。俺の手順が間違っていたのか。
「なんか突然話かけられた気がして、振り返ったら猫ちゃんが居て、雨に濡れて可愛そうだったから、連れて帰っちゃったんです!」
思考と行動があってなさすぎやしないかね。解読すると、「雨の中を歩いていたら、誰かに話掛けれた気がした。振り返ったが誰も居ず、代わりに猫がいて、その猫が雨に打たれ非常に心を痛めた彼女は、自分の家で暖めてやろうと思った」というのでいいんだろうか。聞くと、小さくこくりと頷く。
「その猫って、三毛の雄ですかね」
「……はい」
出来心というやつか。いや、でもよくうちの猫だと分かりましたね。
「いえ、あなたの家の猫だということは知りませんでした。猫ちゃんを返さなきゃいけないとは思っていても、可愛がっていたらなんだか手放したくなくなってしまって…。でも、返さなきゃいけないと思って、拾った辺りに飼い主が居ないかなとうろうろしてたんです」
ぐずりながら続ける。
「迷子になって見つからなかったら、近所の人に猫ちゃんを見なかったか聞くと思いましたし、もし私が拾っているのを見ていたら、きっと何か言われるだろうと思って、先に返そうと思っていたんです」
でも、やっぱり返したくなくて、と葛藤のままこの辺りをうろうろしていたわけか。で、長門の怒涛の追い上げに驚いて腰を抜かし、その人がたまたまシャミの飼い主だったと。もう一度、英語教師は頷いた。
ってことは結果オーライではあるが、実は推理は何一つ当たってなかったわけだ。全く、誤認逮捕になるところだったぞ。
その名探偵、いやこっちも迷探偵か、は涙目の女教師の前に座りこんだ。
「ねーねー、シャミのこと、好き?」
「え…」
「シャミかわいい?」
「えっと…」
こっちに助けを求められても。
…ああ、シャミって名前のことなら、うちの猫の名前だ。シャミセンなんて名前をつけたのは俺じゃないがね。
「あ、はい。可愛いです」
「そっかー。シャミかわいいからいっしょにあそびたくなるよね!でも、シャミはうちのねこだから、つれていっちゃだめだよ。あそびたくなったら、うちに来ていっしょにあそぼ?」
「はい…」
「勝手に連れて行かれたのではない」
「え?」
シャミが居た。お前、なんでここに居るんだ?
というより、また喋ってるぞ!
「ケージには鍵を掛けていたはずなんですけど…。あれ、それにこの声、あの時呼び止められた声と一緒です」
「鍵というのは、あの低級な金属のことか。あれくらいのもの、施錠方法の逆をするだけで良かろう」
相変わらず渋い声でシャミが語る。
「わー、シャミが喋った」
「違う。これは腹話術」
長門がシャミに近づいてデコピンし、映画のときのように肩に乗せる。
「そこの娘よ。勝手に他人の家の飼い猫を連れ去るのは誘拐か泥棒と変わらない。本来なら刑法に基づき罰せられるべきである」
「はい」
「しかし、優しい心遣い故のこと、今回は許そう。我が主もそれでいいな?」
主…て俺のことか?まあ、いいんじゃないか?シャミも帰ってきたんだしな。
「と、いうことだ」
「ありがとうございます!」
「よかったね、シャミがゆるしてくれるって!」
シャミは相変わらず続けて喋っているが、二人は長門の腹話術だと信じ込んでいるらしい。
というより、長門がシャミの飼い主だと思っているんじゃないだろうか。それか、俺達3人が兄弟姉妹だと思っているとか。ま、いいか。
なんだか随分と二人は仲良くなったようだし、いつものサプライズイベントの1つだと思えば大したことないか。
「にしても、いちいち男用の靴で靴跡までつけておくとか、用意周到なことしていた割には、あっさりとした自白だったな」
「靴跡…?」
「うちの庭に靴跡をつけて、犯人が男だと思い込ませようとしたりしたんじゃないのか?」
「わ、私はそんなことしてませんよ。ただ、道を歩いてたらその猫ちゃんが居たんです」
何だって。俺、長門、妹は顔を見合わせる。じゃあ、あの靴跡は?
家の前まで戻ると、古泉だけが帰ってきていた。
「おや?シャミは帰ってきてたんですか」
「ああ、まあいろいろあってな。で、ハルヒはどうした?」
「泥棒を捕まえて交番に連れて行きましたよ」
今度はあの英語教師も含め、4人で顔を見合わせる。泥棒?
古泉が言うには、あの靴跡は空き巣狙いのものだったらしい。ばれないように、別の靴をもう1足持ってきて足跡をつけて逃げ出したという、妹のほぼ想定通りのシナリオを描いていたらしい。
しかし、アホなことに靴を履き変えたはいいが、近くの住民に顔を覚えられていたらしく、警察に通報されて警官が追っていたところにハルヒ達が出会い、ハルヒが飛び蹴りで犯人を蹴倒し、ふんづかまえたと。
いやはや。迷探偵ではなく、実は本当に名探偵になれる素質があるのかもな。持ってきた靴は違ったが、捜査を撹乱するために別の靴を履いていた、というところまでは正解だったようだし。
その名探偵は、玄関先で女教師の膝の上で丸くなって、時折ノドを鳴らしている三毛猫の頭を楽しそうに撫でていた。