「口さけ女だ?」
 そんなもの都市伝説だろ。
「ほ、ホントなんです!」
 放課後のSON組の元1年9組教室。いつも通り思い思い遊んでいたところに、”依頼者”は入ってきた。この教室のことは既に知られているらしいな、まあ中心があの涼宮ハルヒだから知られてて当然か。ちなみにその”依頼者”は1年の女子らしく、もちろん俺たちとは関係がない。しかし、何を思ったかうちに依頼を持ってきたらしい。その内容は冒頭の通り、口さけ女を退治してくれと。うちは宇宙人を探してお友達になろうというもので、妖怪退治請負人じゃないんだがね。
「で、どこに出るの?」
 しかし、ハルヒはそうでもないらしい。まあ、普通の人間じゃなければなんでもいいんだろうな。
 …て、ちょっと待て。マジで退治とか行こうとか思ってるんじゃないだろうな。
「なんで退治しなきゃいけないのよ。話をして仲良くなるのよ」
 こういう訳の分からん自信はやめてくれ。あの口さけ女という話は、「私綺麗?」って聞かれて、「綺麗じゃない」と答えたらその場で殺され、「綺麗」と答えると家まで付いてきて玄関で殺されるという話だぞ。とても会話になるとは思えないが。
 …いや、なんでこんな話を覚えてるんだろうな。それとこんな話を半分くらい信じてしまう自分が嫌だ。その原因となった組長さんは相変わらず静かに本を、SON組でもマスコットな人は苦笑い、超能力者は相変わらずの笑顔に2割ほど困惑の色を、新組員の委員長は別のゲームにハマったのか、赤と白の本体のコントローラを握っている。
 …誰がこのメンバーを見て、「宇宙人やそれに準ずる人」だと思うだろうか。いや、思わないだろう。少なくとも俺は無理だ。
「で、どこだったの?」
「が、学校から少し離れたところの、細い路地です……」
「そこまで連れていってちょうだい」
「い、今からで、ですか!」
 怯える少女。ハルヒにもこれくらいの可愛げがあればいいんだが、無理だろう。断言する、無理だ。
「出たのは夜なんでしょ?なら今は大丈夫よね」
「で、でも……」
「その場所まで連れていってくれないと、退治も何もできないわよ」
 渋る少女だったが、とにかくこの状況を打破できるのがハルヒだけだと思ったんだろう、しぶしぶコートを着て「こっちです」と立ち上がった。続くのはハルヒ・俺・古泉・鶴屋さん、そして朝比奈さん。朝比奈さんは「え、いえ、私は…」と行くのを拒否していたが、ハルヒに連行され、「ひ、ひえぇぇぇ」と声を上げていた。長門は本に、朝倉はゲームにそれぞれ夢中で立ち上がらない。いざというときに長門は居てほしいんだが。
 こっそりそう言うと、
「問題ない。人のこういう噂は大抵が見間違い」
 少し顔を上げて、すぐに本へ視線を戻す。…だとは思うんだが、心配なんだよ。
「大丈夫」
 こっちをじっと見つめてもう一度。
「大丈夫」

 結局、最初立ち上がった面々のみになった。ハルヒからのお達しで、口さけ女の居るところに行かない組員は帰ってよいと、鍵を託された長門は相変わらずの無口でこくりと頷いた後、また鍵を握り締めたまま本の続きを読み始める。長門、せめて鍵は机に置くとか、スカートのポケットに入れるとかだな。……まあ、いいか。
 到着までは大した距離はなかったが、震える朝比奈さんが俺の服を摘んでいるお陰で、非常にスローな移動速度だったために、途中でハルヒから「早くしなさい!」と4回。お前が早過ぎるんだよ。途中からは、「あっちです…」と指を差して教えるだけで、依頼人の少女も朝比奈さんの逆側に居た。
「はっはっは、キョン君人気だねー!」
「…っ、早く来なさい!」
 5回目だ。はいはい、分かっておりますよ。
「そ、そこです!」
 ひときわ大きな声を上げたそこは、なんというか、「ここには魔界への扉があります!」とか言われても信じてしまいそうな、人通りもほとんどなく、街灯も視界には2、3個しかない狭い道だった。
「あなたが来たのは何時頃なの?」
「はい…、塾の帰りで大体6時過ぎだと思います。向こう側から真っ白な服を着て、大きく白いマスクした女性が歩いてきて、私綺麗?と聞いてきたんです……」
 噂通りの行動だったわけだな。「ひぃぃ」と朝比奈さんは耳をふさいでしゃがみこむが、対象的にハルヒや鶴屋さんは身を乗り出して「それでそれで?」と急かす。そんなに迫るな。
「それで…、怖くなって逃げ出したんです。そしたら、彼女は大きなナイフを構え、猛スピードで走って来て…!」
「来て!?」
「また聞くんです!「私、綺麗?」と。怖くなって「普通です!」と答えたら「あ、そう」と去っていったんです!」
 …「あ、そう」。思わず俺も言いそうになってしまった。いや、最後があまりに拍子抜けすぎやしないか?
「…随分あっさりとした妖怪ね」
「あっはっはっはっは、愉快だね!その妖怪さん、口さけ女だっけ?会ってみたいね!」
 鶴屋さん、勘弁してください。…む?ちょっと待ってくれ。ってことはマスクをはずして、口が裂けているかとか見てないのか?
「は、はい。マスクをしたまま聞いてきたので…」
「じゃあ、口が耳まで裂けてたか分からないじゃない」
「そうだねっ。でも口さけ女の行動そっくりだし、間違いないよ!」
 確かに状況はそっくりだ。「私、綺麗?」と聞き、刃物を構えて猛スピードで向かってくる。
「その女の格好はどうなの?」
「身長は160センチくらいで、長い黒髪を乱しながら迫ってきました。走るというより飛んでくるという感じでした」
「声も聞いたんでしょ?どんな感じだった?低いしゃがれた声だったの?」
「いえ、意外と高くて綺麗な声でした」
 …なんだろう、ものすごく違和感があるな。そしてなぜだろう、その人物を見たことがある気がする。それもごく最近。
「怖かったんです!信じてください!」
 力説する彼女を否定するつもりはない。が、何かひっかかるものも感じるのは確かだな。
「分かったわ!あなたはもう帰ってなさい。私たちがどうにかするわ」
「お願いします!」
 ぶんっ、と頭を下げて慌てて帰っていく依頼人。よっぽど怖かったんだろう、途中でこけそうになりながらその場を走り去る。ちなみに、先ほどから朝比奈さんは足元にしがみついて離れない。いや、離れないでくれた方がありがたいと言えばありがたい。
「先ほどから気になっていたのですが」
 古泉が耳打ちしてくる。なんだ?
「さっきの話、おかしいと思うのですが」
 それは彼女の話が嘘だと言うのか。
「いえ、そうではありません。彼女の話は本当でしょう。ただし、その妖怪の方が本物ではなく、ただ誰かが怖がらせるためにやっているのではないかと思うのです」
 俺もそう考えてたところだ。ただし、本物だったときは…あまり期待はしてないが、古泉。
「申し訳ありません」
 言う前に返事が来た。そうだよな、ここは閉鎖空間じゃないからな。
「さあ、キョン。今日はここで現場を見張るわよ」
 ちょっと待て。もしかして、今からか?
「当たり前でしょ!」
 勘弁してくれ。こんな寒い中、待ってられないぞ。それに今日もまた出てくるとは限らないしな。
「じゃあ、どうするのよ。見つけられないじゃない」
「待ってください」
 古泉が言う。何かいい考えがあるのか。
「ええ。口さけ女はべっこう飴が大好物と聞いています。ですから、べっこう飴を置いておけばきっと来るでしょう」
「それよ!」
 おいおい、本気か?あまりに古典的じゃないか。
「なによ、だったら何かいい案あるの?!」
 いや、ないが…。
「じゃあ、いいじゃない。キョン、べっこう飴買ってきなさい」
 結局買いに行くのは俺かよ!

 買いに行って帰ってくると、どこから持ってきたのか「べっこう飴あります」と書かれたボードと、載せる台がセットしてあった。そして、その上にはご丁寧に紙皿が。ここに置けばいいのか?
「そうよ。置いてさっさとこっちに来なさい!」
 そこから1、2時間。人通りはない。そろそろ体が冷えてきて、今日はそろそろ帰らないか、と言いかけた瞬間に、
「しっ!」
ハルヒが言う。びくん、と朝比奈さんの体が強張る。大丈夫ですよ、俺が付いてます。
「あ、ありがとうキョン君…」
 みんなでゆっくり外を見てみる。
「白い服、大きなマスク…そして刃物。間違いありません、あれでしょう」
 古泉が淡々と言う通り、確かに口さけ女らしき女があまりに見え見えなトラップに近づいている。…で、どうするんだ?捕まえる…とか言わないよな?
「いい考えだね。べっこう飴に気を取られている間に捕まえるさっ!」
「そ、そんなことしたら刺されます!絶対ダメです!」
 小声で朝比奈さんが反対する。俺もその通りだと思いますよ。だからな、ハルヒ、
「待ちなさい!そこの口さけ女!」
 人の話聞いちゃいないよこの女は。はっと顔を上げた彼女はサングラスと大きなマスク、フード付きコートに身を包んだ女が確かに居た。そして、こちらを見るや否や、
「早っ!」
 思わず叫ぶほどの早さだった。100m5秒くらいじゃないか?襲い掛かるどころか、身を翻して逃げ出したのだ。
「追いかけるわよ!」
「無理だろ、あれは」
「いいから!」
 ハルヒを先頭に俺、古泉が走り出す。鶴屋さんは怖がって立てない朝比奈さんの傍に居るため残った。
 おい、ハルヒ、あの角曲がったぞ!
「分かってるわよ!」
 口さけ女が曲がったところで曲がると…、
「居ない…わね」
 そりゃそうだ。あの速度で逃げられたら捕まえられるわけがない。
「今日は無理ね。明日も同じ手で行くわよ!」
 勘弁してくれ。

 それから2,3日同じ手を行なったが、それからは現れなかった。ハルヒも飽きたらしく、4日目からは別の手を考えるわけでもなし、教室でまたいつも通りのパターンになった。
 あれから彼女も来ない。いや、正直また来たい場所ではないのは確かだろうし、そのために俺も忘れ始めていたわけだが…。
 ある日の午後。
「じゃあ、今日は解散よ」
 ハルヒの一言でそれぞれ散り散りになる組員。残っているのが長門と俺だけになっていた。じゃあ、俺も帰るからな、と言った時にたまたま目に入ったのは、あのときに使ったべっこう飴。…一つだけ確認しておきたい。
 本来、口さけ女が持っている刃物は、”ナイフ”ではなく”鎌”のはずだった。そして、一度だけ見覚えがあるナイフ。
「なあ、長門」
「何」
「…もう現れないよな、口さけ女」
「……おそらく」
「なんで口さけ女出たんだろうな」
「……」
「口さけ女も暇だったのかもしれないな」
「……かもしれない」
 それだけで満足した。