「みくるちゃん、何それ」
「え? あ、これですか?」
 にこにこしながら朝比奈さんが腕に掛かっているものをじゃらじゃらと音を立てながら見せる。
 テスト中にこんなものをじゃらじゃら音させていたら取れと言われるだろうし、部室に入ってから付けたんだろうな。
 それにしても最初はチェーン系の時計かと思ったのだが、よくよく見ると時計盤が無い。俺が小学校くらいに流行ったプロミスリングにしては随分ゴツイし、一体なんだろう。
「えっと、ゲルマニウムブレスレットだそうです。弱い放射線が出ていて、健康にいいんだって言ってましたよー」
 直後にハルヒはやれやれと肩を竦めた。
「みくるちゃんはあれね、健康がウリの器具とか通販でお得だとか言われると買っちゃうタイプね」
「え? え?」
「最近健康効果が見られない、ってことをどっかが警告出したのよ。国民消費者センターだか生活センターだか、そんな名前のとこ」
「えええ」
 確かにそんな話を見た覚えがあるな。テレビじゃなくてインターネット上をうろうろしていたときだったと思うが。
「それとあれは実際に入っていなかったり100%とか言って1%くらいしか入ってなかったとかいう虚偽記載が問題視されてただけだったと思うが」
「いえ、一応健康効果があるように見せかけ、効果が出てきているという実証が無いために薬事法に抵触するのではないかということも理由にあったそうですよ」
「そんなあ」
「っていうかそもそも考えてみても不思議な話よ。ゲルマニウムって放射線物質で、放射線って基本的に浴びれば本来人体に異常があるものなんだから危険で当然じゃないの?」
「存在する量による。放射線の透過率はγ線、β線、α線の順に高くなるため、生体外にあるとき高密度の放射線であればγ線は非常に危険。ごく微量であれば大きな問題は無い。ただし常用することによって、長時間被爆状態となるため安全の保証は無い」
「よね」
 既に朝比奈さんはがっくりとうなだれている。そりゃせっかく健康のために買ったブレスレットが実は無意味だったとなったらうなだれもするよな。
 得意げにハルヒは続けた。
「毒になるかもしれないものを常に身につけておくっていうのがまずおかしいのよ」
「そうでもない」
「え?」
 今度はハルヒが驚く番だ。
「人体には過剰の砒素は砒素中毒を引き起こすが、欠乏すれば欠乏症となる。ただしこの場合の砒素は有機砒素化合物に限る」
「砒素って飲んだら死ぬ、あの砒素か?」
「そう」
 初めて聞いたな。砒素なんてただの毒だと思ってたが。
「過ぎたるは及ばざるが如し、されど、足らざるも及ばず、ですか」
「そう」
「なんだそりゃ。過ぎたるはってのは聞いたことがあるが後ろの方はなんだ?」
「ほとんどの人がそうだと思います。過ぎるのは駄目ですが、足りないのもやっぱり駄目ということです。当然の話ですね。塩分も体液の浸透圧を一定に保つ為に必要で、多ければ血管外部の塩分濃度が上がり高血圧になってしまいますが、足りなければ欠乏症で逆に血圧が下がりすぎてしまいます」
「まあな」
 悲しむべきなのか、そこまで気にするべきではないのか困った表情の朝比奈さんに鶴屋さんは大笑いしながら背中を叩く。
「あっはっは、みくるも健康のこと考えてるんだったらあたしと一緒にトレーニングでもするかいっ?」
「鶴屋さん、何かやってるんですか?」
「んー、別にやってないけど、体を動かすのは好きでさっ。いろいろ試してみたりするんだよっ」
 いつもハルヒと張り合えるくらいの運動力を持っている鶴屋さんならばそれくらいでも当たり前な気はするな。
「みくるも健康のこと考えるなら何かやってみるかい? 筋トレやるだけでも結構違うかもしんないね。あ、でもみくるじゃ腕立て伏せやろうとしても数回でダウンしちゃうかな。体育のときもすぐにへたっちゃってるし」
「あう……」
「でも大丈夫っさ。あたしだって最初はそんなもんだったしねっ。よおし、それじゃあ善は急げだっ。学校の校庭でも走ってこようか!」
「え? でもまだ明日テストがぁっ」
 困った表情の朝比奈さんが何やら躊躇いがちに遠慮しようとしていたその手を掴み、鶴屋さんは飛び出して行ってしまった。合掌。ただでさえハルヒの要求にびくびくしていそうで、その為に点数を落としそうだというのに。まあ未来人にとっては学校の成績などあまり関係ないのかもしれないけどさ。
 残された俺たちはただ呆然と鶴屋さんたちが出ていった扉を見るだけだったのだが、
「ちょっと、あたしも行くわよ」
 何故かハルヒまで負けじと出て行ってしまった。元気有り余ってるんだな。テスト期間中で勉強会ばかりしているから鬱憤が溜まっているのかもしれない。妙な形で噴出するよりはこうやって健康的に発散してくれる方がこちらとしても助かるな。
 それで俺たちはどうするかというと。
「勉強するか」
「そうしましょう」
「そうね」
 今は時間が惜しいからな。明日の分の勉強をしよう。明日で終わりだしな。
 男子2名、女子1名の勉強会と、窓際の風通しが良い位置で先ほどまでの流れなど綺麗さっぱり忘れたかのように本のページをその白みがかった手で捲る長門姉妹しか居ない部室は、くたびれた表情の朝比奈さんと共に額に玉汗を浮かばせながら楽しそうなハルヒと鶴屋さんが戻ってくるまでは実に快適な時間を過ごせた。強いて言うなら暑かったのだけが不満だな。